葉なき蘚について(現代語訳)
南方熊楠顕彰館オリジナルトランプのダイヤ
昨年〔明治41年、1908年〕12月1日、 予は西牟婁郡と東牟婁郡の間にある、拾い子谷(ひらいごだに、平井川谷)を急ぎ過ぎようとして路傍の倒木につまずき、足がひどく痛くて、しばらくの間立ち止まったが、後進の輩が同じ難に遭うことを哀しみ、これを除いてやるのもまた陰徳の一事と思い、ずいぶん重かった木を道より遠ざけている間に、その木に丁子(ちょうじ)の形をした植物が少数ながら付いているのを見つけ、子嚢菌であるスパチュラリア、ミトルラなどと早合点して取り収め、帰宅後熟視すると、全く菌でなくて、Buxbaumia の一種と思われる蘚(こけ)の雌株で、見たところ、いささかも緑葉がなく、茎頭に斜瓶状のやや大きな子嚢を戴くのみ。
東京博物学研究会発行『植物図鑑』第2版872ページに Pogonatum pelluceus Besch の図があって、「地に接して鋭尖形の緑葉を数個を有するほか、全く葉を有せず、云々。一見緑葉を見えないことから葉不見苔の意をもって名付けたものであろう」とあるに比しては、今送呈する予発見の蘚は緑葉が皆無なので「葉ナシゴケ」とも名付けるべきものである。あえて問う、この蘚の種名はどのようなものか。
英国等に産する B. aphylla は、予の記憶によればこの品より長大である。また今送るところは、深山産の性質のものであるのに、かの種は、蘚学者ジェップ氏の直話に、ウィンゾルのように比較的人家が多い地でも朽木に付くものとのことなので、二者は別種であろうと思われる。『植物名鑑』上巻には、この属の蘚はひとつも見えない。
答。この品は珍しい。いまだ調査に従事せず。遠からず何とか属名だけでもわかるようしたい。
(明治42年7月『東洋学芸雑誌』26巻334号)