オコゼに恋した山の神
Wolf looking down / Tambako the Jaguar
『東京人類学会雑誌』278号310頁に述べた通り、紀州田辺、湯川富三郎氏は屏風一対を所有する。一方は絵で土佐風彩色詳しく、一方は御家風の詞書である。狼形の山神がオコゼ魚を恋い、ついにこれを娶るのを、章魚(たこ)が大いに憤り、その駕を奪おうとしたが、オコゼは遁れて、ついに狼の妻となる物語で、 文章はほぼ室町期末の御伽草紙に類している。前半ばかり存すと報告したのは予の誤りで、完全な物である。前日全文を写しえたので、難読の字に傍点を添え、遼東の豕(※りょうとうのいのこ:世間知らずのために、つまらないことを誇りに思ってうぬぼれること※)の誹りを慮りながら、ここに書きつける。
(※以下の詞書、現代語訳しましたが、訳せない箇所もありました。ご教示いただけたら幸いです。※)
山桜は、我が住む辺りの眺めなので、珍しくない。春のうららかな時節は、浜辺こそ見所が多い。雌波雄波が互いにうち交わし、岸のたま藻を洗うのに、千鳥が浮き沈んで鳴く音も、いうまでもなくよい。沖ゆく船が風がのどかなときに帆をかけて走る。歌をうたう声がかすかに聞こえて、思うことなく見ているのもたいへんおもしろい。塩を焼く煙が空によこをるゝ(たはる?)は、誰の恋路になびくのだろうか。向こうの山より柴といふものを刈り運ぶのに、花を手折ってさし添えているのは、心なき海郎(あま)の行いにやさしくも思われることだと、山の奥では見慣れないことどもに、山の神はあまりの興に乗じて、一首くはせたり、おかしげだが心ばかりはこのようである、
塩木とる、海郎のこゝろも、春なれや、
かすみ桜の、袖はやさしも、
とうち詠じて、あそこここをうろうろとまどいゆく、
ここにおこぜの姫といって、魚の中には類いないやさものがある。顔のかかりは、かながしら、あかめばるとかいうようなものに似て、骨たかく、眼は大きく、口は広く見えるが、十二一重を着て、数多の魚を伴い、波の上に浮かび出ながら、春の遊びをしています、和琴をかき鳴らし、歌をうたう声を聞くと、ほそやかだが、うちゆがんで、
引く網の、目毎にもろき我なみだ、
かからざりせばかからじと、後はくやしきうれし船かも、
と歌いながら、爪音高く聞こえます。
山の神はつくづくと立ち聞いて、おこぜの姿を見てから、はやものおもひの種らなみ(ならめ?)、せめてその辺りへも近づいてとは思うが、泳ぎの心得を知らないのでそれもかなわず、浜辺にうずくまり、小手招きしたが、「ああ辛い、見るものがそこにあるのに」といって、水底へがばがばと入った。
そのようにしてまでも山の神は、ひくやもすそのあからさまなる、おこぜの姿をいま一目見たくて、おこぜが立ち帰っても、またも出ず、日もはや夕暮れになったので、 しおしおとして山の奥に立ち帰り、寝たり起きたり、転びをうっても、この面影は忘れられずに、胸がふくれ心悩んで、木の実やカヤの実を取って食らうが、喉へも入らない。
ただ恋しさがまさり、草が露と消えてもとは思うけれども、死なれもせず、その夜も明けたのでまた浜辺に立ち出て、もしやさりとも浮き上がるかと、沖の方を見やったが、白波のみが打ち寄せて、その君は影も見えず、山の神は涙のえだをりにて(を栞りにて?)、うとらうとらととまたもとの棲家に立ち帰り、いかならむたま〔玉〕たれのひま、洩れくる風の便りもあってほしい、せめては思いのほどを知らせて、なからむ跡までも、このようにさえも言い出せましたら、後の世の罪科も、少しは軽くなるであろうに。
山に住む程のものは泳ぎの心得を知らず、また水に住む輩は山へは来ない。どのようにとかせむことはと、大息ついて思案する。だからこそ、都のうち、因幡堂の軒の口なる鬼甍(瓦?)は、故郷の妻の顔に似て、都であるが、旅なので恋しいといって、さめざめと泣いた人の心で、思い出され、恋ぞせられます。