近野村(ちかのむら)
現・和歌山県田辺市中辺路町。
現・和歌山県田辺市中辺路町。
南方熊楠の手紙:南方二書(現代語訳17)
大抵、諸地の村々の合祀は、在来の1社を指定して村社となし、他の諸社をこれに合祀したものだが、この近野村の合祀は破天荒の乱暴さで、全く樹林を濫伐するがために、七、八百年来存続してきた村社4、無格社9、合わせて13社を全滅濫伐し、その代わりに木もなく地価も皆無である禿げ山の頂へ、新しく出来た無由緒の金比羅社という曖昧至極の物を立て、それへ諸神体を押し込めて、さてその禿げ山へ新たに神林を植えるという名目の下に、周囲2丈5尺以下、1丈3尺の大老杉10余本を伐ろうとするのだ。
南方熊楠の手紙:神社合祀に関する意見(現代語訳7)
合祀濫用のもっともはなはだしい一例は紀州西牟婁郡近野村で、この村には史書に明記される古帝皇奉幣の古社が6つある(近露王子、野中王子、比曽原王子、中川王子、湯川王子、小広王子)。一村に至尊、ことにわが朝の英主と聞こえた後鳥羽院の御史蹟6つまで存するのは、恐悦に堪えないはずであるのに、二、三の村民、村吏ら、神林を伐って利益を得るために、不都合にも平田内務大臣がすでに地方官に注意を与えて、5000円を積まずとも維持確実ならば合祀に及ばないと発令したはるか後に、いずれも維持困難であると偽り、樹木も地価も皆無である禿山の頂へ、その地に何の由緒もない無格社金毘羅社というのを突然造立し、村中の神社大小12をことごとくこれに合祀し、合祀の日、神職が大勢の人とともに神体をもてあそんで、古道具のように、その評価をした。
南方熊楠の手紙:神社合祀に関する意見(現代語訳8)
前述の一方杉のある近野村のごときは、去年秋、合祀先の禿山の頂の社へ新産婦が嬰児とその姉である小児を伴い詣ったが、往復3里の山路を歩みがたく中途で3人の親子途方に暮れ、ああ誰かわが産土神(うぶすながみ)をこのような遠方へ拉致して行ったのかと嘆くのを見かねて、1里半ほどその女児を負い送り届けやった人がいると聞く。
南方熊楠の手紙:神社合祀反対運動の終結、その他(現代語訳1)
近野村の神木は本月5日から伐り始めたということを村民が申して来た。その木は田辺の監獄署の囚人操業で家根板を作る原料に用いるだろうとのこと。野長瀬氏はただ今東京にいて、いまだこのことを知らないだろう。また小生の祖先が400年来奉祀して来た日高郡の大山神社(写真2枚、白井氏の手を経て旧藩主侯がご覧になった。旧幕のころは幕府により普請されたものである)も、今月15日、神職取締員が来て整理に着手とのことなので、無論潰されるであろう。
南方熊楠の随筆:紀州俗伝(現代語訳6-1)
また四国にも、紀州日高郡龍神村、西牟婁郡近野村などにも三度栗がある。いずれも大師が食べてみて、素敵にうまかったので、年に3度なれと命じたとのこと。『紀伊続風土記』77巻に「西牟婁郡西垣内村に三度栗が多い。持山を年に1度宛焼く。焼いた林より出る新芽に実るのだ。8月の彼岸より10月末頃までに本中末と3度に熟す」とある。そうであれば名前ほど珍しくない。
南方熊楠の随筆:山神オコゼ魚を好むと云う事(現代語訳2)
2年前、西牟婁郡近野村にて、予が発見した奇異のコケ Buxaumia Minakatae S. Okamura はその後再び見ることがなかった。よって昨年末、当国最難所と聞こえている安堵峰の辺に登り、40余日の久しき間、氷雨中にこれを探し求めたが見つからない。ついに、まことに馬鹿げた限りではあるが、山人輩の勧めに随い、山神に祈願し、もしこれを獲ればオコゼを献じようと念じたところ、数日の後、たちまちかのコケが群生している処を見出だした。
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