磬 - 鰐口 - 茶吉尼天(現代語訳2)

磬 - 鰐口 - 茶吉尼天(現代語訳)

  • 1 磬、鰐口
  • 2 茶吉尼天
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  • 茶吉尼天

     

    ダーキニー
    Dâkîni (Musée Guimet) / dalbera

     同号(※『老古学雑誌』2巻12号※)889頁に長井君が「日本に稲荷崇拝が起こったのはいつからかは、私は測定することはできないが云々」と前置きして「弘法大師が南支那の五羊の伝説をもたらした。その羊がいつしか狐に換わり、またいつからか稲荷を茶吉尼天と混同したのか。茶吉尼天は少しも狐に関係がない」と言われた。

    フレイザーの大著『金枝篇』に羊、狐、兎、狼などを諸方の民が穀精(コーン・スピリット)と見なす例をおびただしく挙げ論説している。我が邦に穀精の信仰があるかないかは、予は断ずることができないが、インド人が田作に有害な獣類を除くので虎を有り難がり、古支那で12月蜡の祭りに、平素田鼠田猪を食う功に報いようとして猫と虎を饗し、我が邦でも玉置山などは狼を神使とし、祀り迎えて兎鹿を駆逐することを求める諸例から推察して、白井光太郎博士(4年前11月1日『日本及日本人』神社合祀は国家の深憂)が「狐を神獣とし蛇を神蟲として殺さないのは、古人が有益な動物を保護して田圃の有害動物を駆逐する自然の妙用を知り、これを世の人に励行させる手段としたもの」であると説かれたのを正しいと思う。すなわち耕作の業が起こってから我が邦では古くから狐狼蛇などを神物とする風習があったであろう。

    茶吉尼天のことは、予はその曼荼羅のようなものを以前から所蔵し、在英の間種々調べた書類があるが、ただ今座右になく、またことごとく忘却したので、手近な典籍から採って管見を述べるが、『塩尻』帝国書院版、巻四六の749頁に「陀祇尼天(すなわち茶吉尼天)は琰麼羅の属でその種類はひとつではない云々、人の肝胆精気を□食す。それを地蔵大士が慈悲をもってその姿を鬼類に等しくし、これを招じて人のために悩害をなさないようになさったのを本主の陀祇尼天とする。正流の密家で祀るのはこれである。その鬼類の実者外相を現ずると悉伽羅(※しっがら?:サンスクリットでキンイロジャッカルを意味する「シュリガーラ」の音訳※ )、野干となる。季世おおかた野干を祀って陀祇尼と称し、福を求めて幸を祈り、あるいは稲荷と呼んで幣帛を捧げる族が多い」とある。

    大和本草』などでいうように野干は狐と別物で、英語でジャッカル、梵名スリガーラ(すなわち悉伽羅)またジャムブカ、アラビア名シャガール、ヘブライ名シュアル、これらより射干また野干と転訳したのであろう。『博物新編』にはなどでは豪狗と作り、モレンドルフ説では漢名豺(さい)はこの獣を指すという。このものはたいそう悪賢いとの話がインドやアラビアなどの書に多く見え、聖書に狐が奸智の深いことを言われるのも、じつは野干を指すのであろうという。したがって支那日本で行われる狐の諸譚のなかに野干の伝説を混入したことが多い。(昨年5月の『太陽』の拙文「虎に関する信念と民俗160-161頁を見よ)

    ダキニ(茶吉尼)はバルフォールの『印度事彙』に「妖巫(ウイッチ)また女魅(フィメール・ゴブリン)また飲血者(ブラッド・ドリンカー)(アスラ・バス)と名づける。女小鬼(フィメール・□ムブ)の一種。カーリーに付き従い人肉を食らう」とある。

    カーリーはシヴァ神の后で『慈恩伝』三に「玄奘三蔵阿耶□国に行く途中に賊が出て来て、玄奘を殺して突伽天神に嘉福を祈ろうとしたという突伽(ヅルガ)と同神異相である。カーリーの凶相は極めて恐るべく、死と破壊を司り、したがって墓所の女神である。以前はその祭日に男子を神廟に捧げたが、夜中にカーリーが現われてその血を吸い、これを殺した」とある。

    茶吉尼衆はじつにカーリーに随従する女魅輩で、人の血肉を飲食する。なので密教徒が尊奉する茶吉尼天は茶吉尼衆の本主、元カーリー女神と同体異相の者であろうから野干と類縁がないわけではない。まさしく野干はヒエナとともにインドで最も普通に人の死体を求め食う獣であるからである。(『印度事彙』3版2巻394頁を参看)

    さて本邦ではこの獣を産しない。経律に見た野干奸智に富むことがひどく狐に似ているので、すなわち狐を野干と混視して茶吉尼天の使物また茶吉尼衆と同体としたのであろう。野干が茶吉尼衆とともにカーリー女神の使者であるということを書き留めた物が眼前にありながらその抄物が多冊で見当てられないのが遺憾である。

    ついでにいう。趙宋西天三蔵法賢訳『仏説瑜伽大教王経』巻五に(中略)。上に引かれる真言はこの血食鬼を使役して仇人の血を吸い、身体を枯れさせ死に至らしめるものである。その作法中に獯狐翅を用いるとあるのは、推察するに、訓狐と同字でフクロウの異名であろう。(法賢が訳した金剛薩埵説頻那夜迦天成就儀軌経三にも、童女に他人を好まず自分だけを愛敬させる法を修するのに獯狐と鳥肉を食うことがある)。翅を用いるとあるのでそうとわかった。狐の字があるのを見て、にわかに茶吉尼に狐が係わることがインドですでにあったと断じてはならない。

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    「磬 - 鰐口 - 茶吉尼天」は『続南方随筆』(沖積舎) に所収。

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