磬、鰐口
津田君の磬(※けい:古代中国の打楽器※)の研究の参考までに申し上げるのは、Pierre Beron du Mans, "Les Observations de plusieurs singularites et memorables, trouvees en Grece Asie, Judee, Egypte, Arabie, et autres pays estranges, " a Paris, 1554, fol. 38, a . に「ベネチア人に服従したギリシャ人は、トルコ人の奴隷であるギリシャ人よりも多く自由を享ける。彼らはどちらも寺の門の上に釘でひとつの鉄片を懸ける。その厚さ3指、長さ1臂、少しばかり弧状に曲がっている。これを打つと鐘に似た清音を出す。アトス山の寺に全く鐘はなくこの鉄片のみを用い、勤行の都度これを叩いて僧衆を招集する」とある。これは東南欧のギリシャ正教の高野山ともいうべきアトス大寺で鉄磬に類似の物を鐘の代わりに用いたのだ。今日もそうであるかは知らない。
ついでにいう。石を楽器に使う例は、和漢の石磬の他に、鈴石といって石中の穴巣に小石をはらんでいるのを振り鳴らして子供の遊びとすることがある。『雲根志』などにその記載があったと記憶する。アメリカ大陸発見前からインディアンは瓢に小石を入れ柄を付け振り鳴らして楽器とした。古ペルー人は長さおよそ1フィート幅1インチ半の緑響石の扁片、背が曲り厚さ4分の1インチ、それより漸次両尖端に向けて小刀の刃のように薄くなるのを楽器とする。背の中央部に小穴があり糸を通してこれを懸け、堅い物で打つとき奇異の楽音を発すると。これはアメリカ大陸でも古くから石磬があったのだ。(Carl Engel, "Musical Instruments," South Kensington Museum Art Handbook, 1875, pp. 74, 76.)
フンボルトが南米オリノコ辺で得た天河石は、以前先住民がこれを極めて薄い板にして、中央に穴を穿ち糸を通し、懸けて下げ、堅い物で打つと金属を打つような音を出した。フンボルトが欧州に帰ってこれをブロンニヤールに示したところ、ブロンニヤールは支那の石磬をこれに比較したという。(Humboldt, "Personal Narratives of Travels to the Equinoctical Regions of America", Bohn's Library, Vol. II. P. 397.)
『考古学雑誌』5巻12号855頁に沼田君が、『和漢三才図会』に鰐口の名の起こりを裂口の形が鰐首に似るためこれを名づけたかとあるのは、まことに当を得ていると思うと述べられる。
山口素絢の『狂書苑』巻下に、土佐大蔵少輔藤原行秀筆の百鬼夜行の図を出したその第七葉表に、鰐口を首とし二脚龍腹魚体魚尾を備えている怪物がある。鰐口の真ん中に一眼がある。両耳を耳とし裂口より舌を長く出して這って行く様子である。藤貞幹の『好古小録』上に、百鬼夜行図1巻書光重とあるのはこの図と同じ物であろうか。予は一向不案内のことながら百鬼夜行之図は足利氏の時代に成立したとのことが『骨董集』などに載せてあったと記憶する。
『狂書苑』に写し出したものがその真筆に違わなければ、かの図は足利氏の世にすでにこの種の鉦鼓を鰐口と通称したことを証し、兼ねて『和漢三才図会』に先立って裂口の形が鰐首に似るゆえこれを名づけたとその意味を弁じた者ということができる。