(民俗(2)2)
漢の鄒陽の上書中に、燕人蘇秦が他邦から入りて燕に
ローマでは紀元前一世紀、文学奨励で著名だったマエケナスが驢児を
支那では明朝の宮中元日に驢の頭肉を食うを
〈内臣また好んで牛驢不典の物を吃う、挽口というはすなわち牝具なり、挽手というはすなわち牡具なり、また羊白腰とはすなわち外腎肉なり、白牡馬の卵に至りてもっとも珍奇と為し、竜卵という〉(劉若愚の『四朝宮史酌中志』巻二十)。
ロンドンで浜口担氏と料理屋に食した時、給仕人持ち来た献立書を見て、分らぬなりに予が
亭主
翌日近処で心安かったから亭主に会って、あれは全体何で
『周礼』に
今日の支那では馬肉や
また晋の趙簡子両白騾ありて甚だ愛せしに、ある人重患で白騾の肝を食わずば死ぬと医が言うと聞き、その騾の肝を取ってやった。のち趙が
本邦では普通に馬牛を食うを古来忌んだようだが、『古語拾遺』に白猪、白馬、白鶏を
あるいは上世日本でも地方と部族により、馬肉を食いもし神にも献じたものか。琉球では維新前も牛馬猫の肉を