(概説の5)
時計のない世に鶏を殊に尊んだは、諸社にこれを放ち飼いにし、あるいは神鳥としてその肉を食わなんだで知れる。インドでも鶏肉を忌むが、多く堂の側に半野生として放置したらしい(一八九五年ケンブリッジ板、カウエルの『仏本生譚』二巻二八〇頁)、仏寺にも勤行修学の時を規すため、鶏を飼うを忌まなんだは、北院御室の『右記』に、寺の児童小鳥飼う事は大失なくとも一切停止す、鶏と犬は免ず、内外典中その徳を多く説けり。鶏に五徳あり、あるいはその家の吉凶を告ぐ、また真言宗に白鶏尾を秘壇の中瓶に立つる事あり、殊に時刻を告ぐる事大事大切なりとあるので分る。
鶏の五徳とは、『韓詩外伝』に、頭に冠を戴くは文なり。足に距を持つは武なり。敵前に敢えて闘うは勇なり。食を見て相呼ぶは仁なり。夜を守って時を失わぬは信なりと出づ。これについて可笑しきは、彬師という僧客と対するに猫が一疋その傍に離れざるを彬客に語った言葉で、人は鶏に五徳ありというがこの猫にも五徳あり。鼠を見るも捕えず仁なり。鼠に食を奪わるるも怒らずに譲り与うるは義なり。客至って饌を設くればすなわち出で来るは礼なり。物を蔵するに密なれども能く盗むは智なり。冬月毎に竈に入るは信なりと。客聞きて絶倒すと『淵鑑類函』猫の条に出づ。
それについてまた可笑しきはボカチオの『イル・デカメロン』に、僧が主人に対してアリストテレスは賢人の七徳とかを述べたが、わが従僕また七徳ありとてその過失を指折り数え立てるところがある。英国の弁護士で『デカメロン』の諸話の起因と類譚を著わしたエー・コリングウッド・リー氏が出板前に書を飛ばして、予が知っただけの事を洩らしくれ編入したいからと言うて来たので、多少書き送った内に、この譚の類話として鶏と猫の五徳を書き送ったが、従僕の七徳として実はその七徳を嘲った譚は読んだ事なしというて来た。一生をこの一書に厮殺したリー氏ですらこの書の内にある事を知り及ばない。だから馬琴の口吻で書を読む事誠に難くもあるかなだ。而していわんやまたザラに世上に跋扈する道で聞き塗に説く輩においてをやだ。
それから人は冗談は言わぬもので、往年予、土宜法竜師に分らぬ事あればチト何でも聴きにこいとか言ったのを忘れぬと見え、四年前に仁和寺御室から叮嚀な封状が届いたのでギョッとしたが、相手が出家ゆえ金の催促でもあるまいと妻子の手前徐に開封すると、茶の十徳という事あり、何々を指すか名目を聞かせくだされたいとの文言に大いに周章し、種々血眼で探ったが見えず、『沙石集』等に茶の徳を数えた所はあれど十の数に足らず、何か世間にない書物の名を拵えて啌でも書いてやろうかと思うたが、いずれ先方も十分支度して掛かったはずと惟えばそうもならず。
親の仇同前に心掛けて配慮する内、やっと近頃西鶴の『日本永代蔵』巻四の四章に「茶の十徳も一度に皆」てふ題目を立てたを見出した。その話は敦賀港の町外れで、荷い茶屋を営業する小橋の利助といえる者、朝茶を売りて大問屋となり、出精するうち悪心起り、越中、越後に若い者を派遣し、人々の呑み棄てる茶殻を京の染屋に入れるとて買い集め、それを飲み茶に雑えて人知れず売り、大利を得たが、天の咎めを免れず、乱心して自分の奸曲を国中に触れ廻り、死後その屍を天火に焼かれ、跡は化物屋敷になったという事で、譚中に茶の十徳の事は一つも見えぬ。惟うに茶人の著る十徳という物あるに因って、茶を植うれば他の作物に十倍増して利益ある由を、この書の出来た貞享五年頃、またはその前に世に言い囃し、当時諺となって人口に膾炙したものであるまいか。故にこの茶の十徳というは鶏や猫の五徳と事異なり、十倍の利得るといったまでの事で、この徳あの徳と一々名目を列ねたものでなかろうと土宜師へ答え置いたが、どうも自分ながら胡麻の匂いがする。識者の高教を仰ぐ。
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