(仏教譚8)
生来この藻は流水や噴泉で不断盪わるる処に生えるがその胞子が偶然止水中に入って困しんだ余り一計を案じ魚に託生してその魚が游ぐとちょうど生活に必要ほどな振動を受け動水中にあると同然に活きいたのだ。それと等しくヒルデプランチアも元海に生えたが繁殖の余勢で淡鹹両水の雑った江に侵入しそれから高地の急流や滝が岩を打つ勢いちょうど海波が磯を打つに均しき処に登って生存し居るらしい、濠州辺で鮫が内地の淡水湖に進入したりインドや南米に川にばかり棲む鯨類があるような事だ、さてこのヒルデプランチアの胞子は多くの緑藻や褐色藻の胞子と異なり自ら游いで適当の地に達し得るものでないので、海から高地まで登るに胞子は急流で洗い落とされほとんど無用だ。
その故か予は岩壁生のこの藻に胞子あるを見た事がなく、普通に藻の細胞体から芽を出し拡げて殖え行くのだ、大和北山の田戸附近ですこぶる高い滝の下方からこの藻が二丈ばかり登り懸けたのが極めて美観だったのを見た、また那智で一丈四方ほどの一枚
巌全くこの藻を被りそれから対岸の石造水道を溯って花崗石作りの手水鉢の下から半面ほど登りあるを見た、これらはしかるべく観察を続けたらこの藻がどれほどの速力で高地へ登るという事も知れ、ひいてこの辺の山が出来た年数なども分り、学術上非常に有益な事と思うたが、その地に永く留まり得ないで研究を中止した、また件の手水鉢中の水が血を注いだように黝赤いので鏡検すると、従来予が聞いた事なき紅色の双鞭藻で多分新種であろう。
双鞭藻は黄褐また緑を常色とする、ベーンの説に葉の色の緑なるは何故と問うと葉緑素を含んで居るからと言うて説明が済んだと思う人が多いが、葉緑素の字義が葉を緑に彩る物だから葉緑素を含んで葉が緑色に見えると言うは葉が緑だから緑に見えるというに当り適切な説明でない、葉中に日光を受けて炭酸から炭素を取る力ある物を含むその物の色が緑ゆえ葉が緑に見えると言うと初めて説明になるとあった。
いわゆる開明した人々が何の訳も心得ずに奇異の現象を見ては電気の作用だ、不思議な病症を見ては神経の作用だと言い捨つるは実際説明でなく解らぬと自白するに同じ、諸国の俗伝にちょっと聞くと誠に詰まらぬ事多くあるを迷信だと一言して顧みぬ人が多いが、何の分別もなく他を迷信と蔑む自身も一種の迷信者たるを免れぬ。したがって古来の伝説や俗信には間違いながらもそれぞれ根拠あり、注意して調査すると感興あり利益ある種々の学術材料を見出し得るてふ事を摩訶薩王子虎に血を施した話の序に長々しく述べた訳じゃ。
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「虎に関する史話と伝説民俗」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収