田原藤太竜宮入りの話(その34)

田原藤太竜宮入りの話インデックス

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  • (竜の起原と発達(続き)3)

     竜譚の発達に最も力を添えたは海蛇譚で、海蛇の事は予在外中数度『ネーチュル』その他でその起原を論戦したが、事すこぶる煩わしいからここには略して竜譚に関する分だけを述べよう。『玉葉』四十に寿永三年正月元日伊勢怪異の由を源義仲の注進せる内に、元日の夜大風雨雷鳴 真虫まむし蛇打ち寄せられ津々に藻に纏われてあるいは二、三石あるいは四、五石(石は百か)皆生きあり、両三日を経て紛失しおえぬ、およそ昔も今も真虫海より打ち上げらるる事は伊勢国にそうらわず、くだんの蛇海より来り寄す云々と見ゆ。

    これすなわち海蛇で鰻様に横ひらたき尾を具え海中に限って住むがインド洋太平洋とその近海に限る、およそ五十種あり(第六図)。知人英学士会員ブーランゼー方で見たはインド洋産七、八フィートあった、熊野で時々取るを予自ら飼い試みるにブーランゼー始め西人の説に誤謬多し、そのうち一論を出し吹き飛ばしてくれよう。

    『唐大和尚東征伝』や蘭人リンスコテンの『東印度紀行ヴォヤージュ・エス・アンドリアンタル』(一六三八年アムステルダム版、一二二頁)を見ると、昔はアジアの南海諸処に鑑真のいわゆる蛇海すなわち海蛇夥しく群れ居る所があったらしい、『アラビヤ夜譚』のブルキア漂流記に海島竜女王住処すみかを蛇多く守るといい、『賢愚因縁経』に大施が竜宮に趣く海上無数の毒蛇を見たとあり、『正法念処経』に〈熱水海毒蛇多し、毒蛇気の故に海水をして熱せしめ一衆生あるなし、蛇毒をもちいる故に衆生皆死す〉と見ゆる、海蛇はいずれも毒牙を持つからのことだ、これら実在のものと別に西洋には古来海中に絶大の蛇ありと信ずる者多く、近年も諸大洋で見たと報ずる人少なからず、古インドに勇士ケレサスバ海蛇を島と心得そので火を焼く、熱さに驚き蛇動いて勇士を顛倒したと言い、十六世紀にオラウスが記したスウェーデンの海蛇はたけ二百フィート周二十フィート、牛豕羊を食いまたほばしらのごとく海上にちて船客を捉え去ったといい、明治九年頃チリ辺の洋中で小鯨二疋一度に捲き込んだ由その頃の新聞で見た。

    『エンサイクロペジア・ブリタンニカ』十一版二十四巻にかかる大海蛇譚の原因は海豚いるかや海鳥や鮫や海狗や海藻が長く続いて順次起伏して浮きおよぐを見誤ったか、また大きな細長い魚や大烏賊を誤りたか、過去世に盛えた大爬虫プレシオサウルスの残党が今も遠洋に潜み居るだろうと論じ居る。

    甲子夜話』二十六に年一、二度佐渡より越後へ鹿が渡海するに先游ぐものくびと脊のみ見え、後なるはその頷を前の鹿の尾の上にもたげて游ぎ数十続く、遠望には大竜海を游ぐのごとく見ゆとある、今も熊野の漁夫海上に何故と知らず※(「魚+賁」、第4水準2-93-84)おおえびなどの魚群無数続き游ぎ、船坐るかと怖れげ帰る事ありとか、またホーズと呼ぶ長大の動物尾も頭も知れず連日游ぎ過ぐるに際限を見ず、因って見込みの付かぬをホーズもない事というと聞く、かかる物実際存否の論はいてとにかく西洋に大海蛇の譚あるようにインドや支那で洋海に大竜棲むとし海底に竜宮ありと信ずるに及んだのだ、

    また俗に竜宮と呼ぶ蜃気楼も蜃の所為とした、蜃は蛇のようで大きく腰以下の鱗ことごとく逆に生えるとも、※(「虫+璃のつくり」、第3水準1-91-62)あまりょうに似て耳角あり背鬣紅色とも、蛟に似て足なしともありて一定せず、蜃気楼は海にも陸にも現ずる故最寄もより最寄で見た変な動物をその興行主が伝えたので、蜃が気を吐いて楼台等を空中に顕わすを見て飛び疲れた鳥がやすみに来るを吸い落して食うというたのだ(『類函』四三八)。

    また月令季秋雀大水に入ってはまぐりとなり孟冬もうとう雉大水に入って蜃となる、この蜃は蛤の大きなものだ、欧州中古※(「虫+劫」、第4水準2-87-51)かめのてかもになると信じわが邦で千鳥が鳥貝や※(「王+兆」、第4水準2-80-73)たいらぎに化すと言うごとく蛤類の肉が鳥形にやや似居るから生じた迷説だが、邦俗専ら蜃をこの第二義に解し蛤が夢を見るような画を蜃気楼すなわち竜宮と見るが普通だ。
    「第6図」のキャプション付きの図

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    「田原藤太竜宮入りの話」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収

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