猴に関する伝説(その29)

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     『酉陽雑俎』巻十一に道士郭采真かくさいしん言う、人の影の数九に至ると。この書の著者段成式だんせいしきかつて試みて六、七に至りしがそれ已外いがいは乱れて弁ぜず、郭いわくようやく炬を益せばすなわち別つべしとありて、九影の神名を書いた物あったが虫に食われて紙面全からず皆まで分らぬとづ。予五、六歳の時行燈あんどんを多くともし自分の影が行燈の数ほど増すを見て至って分り切った事と思うたが、博識ほとんど張華の流かと言われた段氏がこれほどの事を不思議がったは馬鹿げて居る。

    一七八七年七月九日ロンドンの街上を行く一紳士一貴婦にエリオット博士ちゅう学者が小銃を放ち、いずれも傷つかなんだがその婦人の衣は破れ、二人とも大いにおどろいたので博士は入牢した。その時博士の諸友これを発狂の所作として申告した内に癲狂院てんきょういんを司るシムモンス博士あり。当時高名の精神病学者でもっとも世に重んぜられた人だが、自分はエリオットと親交十余年深くその狂人たるを知ると言ったので、その確証を述べよと問われて判官に答えたは、この頃エリオットが学士院へ提出するとて草した天体の光に関する論説を自分に贈った。

    これ確かに彼が狂人たる十分の証拠だという事で法廷で読み上げた内に「日は通常星学家が説くごとき火の塊でなく、実は日の上に濃くあまねく行き渡った光気(オーロラ)ありて日光を発し、その下なる太陽面の住民に十分光りを与え得るが、随分遠距離にあれば住民の迷惑にもならぬ」という一節こそ、殊に気違いの証拠だと述べた。判官は異常な学説を狂人の所作といえば精通真面目の星学家で狂人にしてしまわるる者多からんとて受け付けなんだ。しかし法律上の沙汰でエリオットが同時に射た二銃ともたまを込みいた確証なしとの一点より無罪と宣告された。

    ところがこの博士拘引後絶食十三日で死んでしまったは、昨今評判のコルクの市長の足元へも寄れませぬ。ロバート・チャンバースいわく、この事件を新聞紙月並みの法廷傍聴録として看過しがたきは、当時エリオットがいだいた理想こそ実に現今(一八六四年)第一流の星学諸家が主張する所なれ、さればこれに拠って吾人は世にあまねく知られざる一事を知る。すなわち当世の狂が後代の智となる事もあれば、只今賢いと思わるる多くが、百年立てば阿呆の部に入れらるる事も多かろうと。これ誠に至言で、チャンバースが現今第一流の星学諸家が主張する所とは誰々なるを詳らかにせぬが、最近、日の上に濃くあまねく行き渡った光気より日光を発し、太陽面の住民に十分光を与えながら迷惑は掛けぬなど信ずる学者もないようだから、わずかに六十年足らぬ間に当時の碩学が今日の阿呆と見えるようになったのだ。

    まだそれよりも著しいは前年、現時為政者たる人が浅薄な理想を実現せんとて神社合祀ごうしを励行し、只今も在職する有象無象大小の地方官公吏が斜二無二迎合して姦をなし、国家の精髄たる歴史をも民情をも構わず、神社旧跡を滅却し神林を濫伐して売り飛ばせてテラを取り、甚だしきは往古至尊上法皇が奉幣し、国司地方官が敬礼した諸社を破壊し神殿を路傍に棄てさらした。

    熊楠諸国を遍歴して深く一じんせつをも破壊するてふ事の甚だ一国一個人の気質品性を損するを知り、昼夜奔走苦労してその筋へ進言し、議会でも弁じもらい、ついに囹圄れいごとらわるるに至って悔いず。しかるにその言少しも用いられず。不祥至極の事件の関係者が合祀励行の最も甚だしかった地方から出た。神社合祀が容易ならぬ成り行きを来すべきは当時熊楠が繰り返し予言したところなるに、そのしんついに成りしはわれも人もことごとく悲しむべきである。ていに賢人ありて鄭国滅びたるは賢人の言を聞きながら少しも用いなんだからと、室鳩巣むろきゅうそうが言ったも思い当る。

    それにサアどうだ。有司が前陣に立って勧めた薬がき廻って今日ドサクサするに及び、ヤレ汽車賃を割引するから参宮に出掛けよとか、ソラ国費を以て某々の社を廓大しようとか大騒ぎに及ぶは既に手後れの至りで、汝の罪汝に報う「世の中の、うさには神もなき物を、心のどけく何祈るらん」と諸神が平家を笑うだろう。これを以てこれを見るに、当身のその本人が十年前に狂と見た熊楠の叡智に今は驚き居るに相違ない。魏徴ぎちょう、太宗に言いしは、われをして良臣たらしめよ、忠臣たらしむるなかれと。この上仰ぎ願わくば為政者、よっぽど細心してまた熊楠をして先見の明に誇らしむるなからん事を。

    マアざっとこんな世間だから、段成式が人に九影ありと聞いて感心して『雑俎』に書き留めたのも、諸方の民が人に数魂ありと信ずるのもむやみに笑う訳に行かず。これを笑うたのを他日に及んで笑わるるかも知れぬという訳は、変態心理学の書にしばしば見る二重人格また多数人格という例少なからず。甚だしきは一人の脳に別人ごとく反対した人格を具し、甲格と乙格と相嫌いにくむ事寇讎こうしゅうのごときもある。されば猿田彦が死に様に現じた動作の相異なるより察して、その時々の心念を平生の魂と別に、それぞれ名を立て神とた『古事記』の記述も、アルタイ人が人ごとに数魂ありて各特有の性質、働き、存限ありと信ずるも理に合えりともいうべし。

    それと等しく一つの神仏菩薩に数の性能を具するよりその性能を別ちて更に個々の神仏等を立てた事多きは、ギリシャ、ローマの神誌や仏経を読む者の熟知するところで、同じ猴ながら見立てように随って種々の猴神が建立された。猿田彦がインドの青面金剛、支那の三尸と結合されて半神半仏の庚申と崇められた概略は出口氏の『日本生殖器崇拝略説』に出で、この稿にも次第したればこの上詳説せずとして、ちまたや、旅行や、盗難を司る庚申のほかに、田畑、作物を司る猴神ある事前述のごとく、そのほかまた猴を山の神とせるあり。

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    「猴に関する伝説」は『十二支考〈下〉』 (岩波文庫)に所収

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