猴に関する伝説(その11)

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  • (性質1)



          (二) 性質

     概言中に述べた平猴に似た物が明の黄省曾の『西洋朝貢典録』中と『淵鑑類函』二三四に記載さる。その文異同ある故ふたつながら参酌して書くと、〈阿魯あろ国一名唖魯、西南の海中にあり、その国南は大山、北は大海、西は蘇門荅剌スマトラ国界、国語婚喪等の事爪哇ジャワと相同じ、山に飛虎を出す、その状猫のごとく、灰色にして肉翅、蝙蝠のごとく、能く走り能く飛ぶ、これを獲ればすなわち死す〉。

    スマトラの東にあるなり、西南でなくて東南海中にある蘭領アル島にほかならじ。いわゆる飛虎はアル島に産するベタウルスの一種らしい。これはカンガルーなどと同じく、袋獣類の物で平猴(コルゴ)と縁がない。

     それから前引の「波の音聞かずがための山籠り苦は色かへて松風の声」てふ歌は、熊野の神さえ海辺で波、山中で松風の音が耳に障る。いわんや人間万事思うままに行くものかというおしえの神詠とかで、今も紀州の人は不運な目に逢うごとにこれを引いて諦めるが、熊野猿ちゅうことわざ通りよほどまずい神詠だ。さりとて随分名高かった証拠は近松門左の戯曲『薩摩歌』中巻お蘭比丘尼のことばに「あのおしゃんす事わいの、苦は色替ゆる松風通り、風の吹くように、身にも染まぬ一時恋」。

    半二と加作の『伊賀越道中双六いがごえどうちゅうすごろく』岡崎の段の初めに「世の中の、苦は色かゆる松風の、音も淋しき冬空や」などある。全体この神詠なるもの何時頃いつごろから文献に見え出したのか、読者諸君の教えを乞う。

     『水経注すいけいちゅう』巻三三に広渓峡に手長猿多きもその北岸には決してこれを産せぬとある。何のへんてつもない記事と看過しいたところ、たまたま『大英百科全書』巻二二フォルツ博士の実験談を引いて、スマトラ島の諸地にシャマンとウォーウォーと二種の手長猴雑居し、パレンバン地方でも山地では雑居す。しかるにこの地方にあるレマタン川に限り、彼らが容易に飛び越え得るほど狭き上流までも西岸にシャマン、東岸にウォーウォー棲んであいまじわる事なきは希代だ。前者は一声、後者は二声ずつ鳴くからこれを捕え見ずともこの界別はよく判るというを読んで、魏帝が長江の南北を限れるを認め嘆ぜしを思い出し、『水経注』の説もしかと事実に基づいたものと知った。

     フンボルトの『回帰線内亜米利加旅行自談』に、所により鰐や鮫が人を犯すと犯さざるの異なる由を述べ、猴も同様でオリノコやアマゾン河辺のインデアン人は、同一種の猴ながらある島に住むはよく人になつき馴れるが、その近所の大陸に住む奴は捕えらるるや否や、甚だしく怖れまたいかってたちまち死するを熟知する故、猿取りに無駄骨を折らぬ。どうも地勢が違うばかりでかように性質が異なると説き去りがたいとあるが、定めて食物とか物の乾湿とか雑多の原因がある事と惟わる。したがってわが邦の猴舞わしが、四国猴は芸を仕込むに良いの、熊野猴は生まれ付きが荒いのというも年来の経験で根拠ある説らしい。

     『連珠合璧れんじゅがっぺき』上に猿とあらば梢をつたうとあり、俗諺にも猴も木から落ちるというて、どの猴も必ず楽に木を伝い得るよう心得た人が多い。しかしワリスの『巫来マレー群島記』(一八八三年板、一三三頁)に、スマトラに多い体長くせ、尾甚だ長いセムノビテクス属の猴二種は、随分大胆で土人を糸瓜へちまともおもわず、しかるに予が近づきながめると一、二分間予を凝視したのち逃げ去るのが面白い。一樹の枝より少し低い他の樹の枝へ飛び下るに、一の大将分の奴が無造作に飛ぶを見て他の輩が多少おののきながら随い飛べど、最後の一、二疋は他の輩の影見えぬまで決心が出来ず、今は全く友達にはぐれると気が付き捨鉢すてばちになって身を投げ、しばしば細長い枝に身を打ち付け廻った後、地上へドッサリ堕つる可笑おかしさに堪えなんだとあるから、猴の木伝いもなかなか容易でないと見える。

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    「猴に関する伝説」は『十二支考〈下〉』 (岩波文庫)に所収

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