猴に関する伝説(その17)

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         (三) 民俗

           1

     さきに猴酒の事海外に例あるを聞かぬと書いたは千慮の一失で、『嬉遊笑覧』十上に『秋坪新語』忠州山州黒猿く酒をかもす事を載す。※[#「けものへん+胡」、72-4][#「けものへん+孫」、72-4]酒といえり、みさごずしに対すべしとあれば海外またその話ありだ。

    なお念のため六月発行『ノーツ・エンド・キーリス』十二輯六巻二九五頁へ和漢のほかに猴酒記事の例ありやと問いを出し置いたが、博識自慢の読者どもから今にこれというほどの答えが出ず。

    唯一のエフ・ゴルドン・ロー氏の教示に、猴酒は一向聞かぬが英語で猴の麪包パン(モンキース・ブレッド)というのがある。バオバブ樹の実をす、またピーター・シンブルの話に猴吸い(サッキング・ゼ・モンキー)といえるは、椰子やしを割って汁を去りその跡へラム酒を入れて呑むをもいえば、たるわらし込んで酒を引き垂らすをもいう。俗にこれを猴のポンプとも名づくとあってまず猴が酒を作る話は日本と支那のほかにないらしい。

    くだんのバオバブ一名猴の麪包の木はマレー群島の名菓ジュリアンと同じく、わが邦の梧桐ごどうの類に近きボムバ科に属し、アフリカの原産だが今はインドにも自生す。世界中最大の木の随一でその幹至って低いが周回七十乃至ないし九十フィートのものなり。フンボルトその一つを測量して五千百五十年を経たはずと断定した。

    その樹皮と葉を駆虫剤とし、葉を乾かして痢病に用い、殊に汗を減ずるに使い、その木を網の浮きとするなど、すこぶる多用な木だが、一番珍重さるるはその実で外部木質、内に少しく冷やかな軟肉ありてゴム様に粘る。その大きさひょうのごとし。生食してすこぶる旨く、その汁を搾って砂糖を和し飲めば瘟疫おんえきに特効あり。

    エジプト人はその肉を乾かし水に和し飲んで下痢を止むとあるから(『大英百科全書』巻三、リンドレイの『植物界』第三板三六一頁、バルフォールの『印度事彙』第三板一巻、二二および二七六頁)、猴麪包の功遥かに存否曖昧の猴酒にまさる。それと比較にならねどわが邦にもサルナシという菓あり。猫が好くマタタビと同属の攀緑はんりょく灌木で葉が梨に似るから山梨とも呼ぶ。甲斐の山梨郡はこの物に縁あっての名か。その皮粘りありて紙をすくに用ゆ。実もゆずに似て冬熟すれば甘美なり。

    『本草啓蒙』にその細子罌粟けし子のごとし。下種して生じやすしとあれど、紀州などには山中に多きも少しも栽培するを見ず。しかし平安朝廷の食膳を記した『厨事類記ちゅうじるいき』に※(「けものへん+彌」、第3水準1-87-82)猴桃をたちばなや柿とともに時の美菓に数えたれば、その頃は殊に賞翫したのだ。

    『本草綱目』三三に、その形梨のごとくその色桃のごとし、而して※(「けものへん+彌」、第3水準1-87-82)猴喜んで食う故に※(「けものへん+彌」、第3水準1-87-82)猴梨とも※(「けものへん+彌」、第3水準1-87-82)猴桃とも名づくとあれば、邦名サルナシは支那名を和訳したのか。それからサルガキとて常の柿と別種で実小さいのがある。

    漢名君遷子、この柿の渋が養蚕用の網を強めるに必要で、紀州では毎年少なからず信州より買い入るを遺憾に思い、胡桃沢勘内氏民俗学の篤志家で文通絶えざるを幸い、その世話で種を送りもらい植え付けて後穿鑿せんさくすると、紀州の山中処々に野生があった。それを培養せぬ故古来無用の物になりいたのだ。邦人の不注意なるこの類の事が多い。足利時代に成ったらしい「柿本氏系図」に信濃しなのの前司さるがきと出たれば本よりかの国の名産と見える。これも猴が好き食うから名づけたるにや。

     猴に関する民俗を述ぶるに、まず猴崇拝の事から始めると都合がよろしい。『大英百科全書』十一板二巻動物崇拝の条に、インドで猴神ハヌマンもっともあらわる。ヒンズー教を信ずる諸村で猴を害する事なし。アフリカのトブ民も猴を崇拝す。仏領西アフリカのボルト・ノヴチでは小猴を双生児の守護尊とすとある。

    マレー半島のセマン人信ずるは、創世神タボンの大敵カクー、黒身炭のごとく西天に住む。ここを以て東は明るく西はくらし、天に三段ありてカクーの天最高所にあり、ブロク猴の大きさ山ほどなるがこれを守り、その天に登って天菓をぬすまんとする者を見れば、とげだらけの大なる菓をなげうって追い落す。世界終る時、地上一切の物ことごとくこの猴の所有となる(スキートおよびブラグデン著『巫来マレー半島異教民族篇』巻二、頁二一〇)というが、いかな物持ちとなっても世界が滅びちゃ詰まらないじゃないか、このブロク(椰子猴、学名マカリス・ネメストリヌス)についてマレー人の諺に「猴に裁判を乞う」というがある。

    一人ありて他の一人の所有地に甘蕉バナナを植え、その果熟するに及び互いにこれを争う。決せずしてブロク猴に裁決を求めると猴承知して二人に果を分つに、一人対手あいての得分多きに過ぎると苦情いう。猴なるほどこれは多過ぎると荒増あらまし引き去って自分で食ってしまうと、今度は他の一人がそれでは自分の方が少な過ぎるという。どうもそうらしいといって猴また多い方から大分せしめる。かくせり合ってついに双方一果も余さぬに及んだ。裁判好きの輩判官に賄賂わいろを重ねて両造ともにからけつとなるを「猴に裁判を乞うた」というのだそうな(スキート著『巫来方術篇』一八七頁)。

    ジャワのスラバヤでも猴を神とした由、明の黄省曾の『西洋朝貢典録』巻上にづ。註にいわく、この港の洲に林木茂り、中に長尾猴万余あり、老いて黒き雄猴その長たり。一老番婦これに随う。およそ子なき婦人、酒肴しゅこう、花果、飯餌はんじを以て老猴にいのれば、喜んですなわち食い、衆猴その余りを食う。したがって雌雄二猴あり、前に来って交感し、婦人これを見て帰れば孕む。猴食わず交わらずば孕む事なし。

    土伝に唐の時民丁五百余口あって皆無頼なり、神僧その家に至り水を吹き掛けてことごとく猴と成した、ただ一おうを留めて化せしめず、その旧宅なお存すと。『淵鑑類函』四三二ジャワ国の山に猴多く人を畏れず、呼ぶに霄々しょうしょうの声を以てすればすなわちづ、果実を投げればその二大猴まず至る、土人これを猴王、猴夫人という。猴王、猴夫人食うた余りを群猴食うとある。

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    「猴に関する伝説」は『十二支考〈下〉』 (岩波文庫)に所収

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