(性質6)
猴類は人に多く似るものほど鬱性に富み、智力増すほど快活を減ずとフンボルトは説いた。賢人憂苦多く阿房は常に飛び廻るようなものか。ただしかかる断定は野生の猴を多く見て始めて下すべく、人手に入れたもののみを観察して為し得べきでない。
『奥羽観跡聞老志』九に五葉山の山王神は猴を使物として毎年六月十五日猴集まって登山すとあり。紀州の白崎では、以前榕実熟する時、猴これを採りに群集し、田辺附近の竜神山にも、千疋猴とて、夥しき猴の団体を見た事あるも、近年一向なし。
猴ごとき本来群居するものの性質行為を研究するは、是非ともその野生群居の処にせにゃならぬに、そんな所は本邦で乏しくなった。支那にも千疋猴あった例、程伯淳、山に遊んで猴一疋も見えず、山僧より〈晏元献南に来て猴野に満つ〉と聞き、戯れに一絶を為って曰く、〈聞説猴性すこぶる霊し、相車来ればすなわち満山に迎う、騾に鞭ちてここに到れば何ぞかつて見ん、始めて覚る毛虫にもまた世情〉。猴までも貧人を軽んずと苦笑したのだ。
ベーカーの『アビシニアのナイル諸源流』十章にいわく、十月に入りて地全く乾けば水を覓むる狗頭猴の団体極めて夥しく河に赴き、蔭った岸を蔽える灌木の漿果を食うため滞留す、彼らの挙止を観るは甚だ面白し、まず大きな牡猴がいかめしく緩歩し老若の大群随い行くに、児猴は母の背に跨がり、あるいは後肢を伸ばして覆むき臥し、前手で母の背毛を握って負われ居る。眼疾き若猴が漿果多き木を見付け貪り食うを見るや否や、上猴どもわれ一と駈け付けてこれを争う、所へ大猿来り、あるいは打ちあるいは毛を引き、脱隊者をばあるいは尻を咬みあるいは尾を執って引き戻しおし入れ振り舞わす、かくて暫時の間に混雑を整理し、自ら樹下に坐し、静かに漿果を味わう。
この狗頭猴は夥しく音声を変える、けだし言語の用を為すらしく、聞いて居ると警を告げるとか、注意を惹くとか分って来た。例せば予が樹蔭に匿れて窺うを見付け何物たるを審かにせぬ時、特異の叫びをなして予を叫び出したと。
パーキンスの『アビシニア住記』一にも狗頭猴の記事ありいわく、この猴の怜悧なる事人を驚かす、毎群酋長ありて衆猴黙従す、戦闘、征掠、野荒し等に定法あり、規律至って正しく用心極めて深し、その住居は多く懸崖の拆けたる間にあり、牝牡老若の猴の一部族かかる山村より下るに、獅子のごとき鬣で肩を覆える老猴ども前に立ち、頃合の岩ごとに上って前途を見定む、また隊側に斥候たるあり、隊後に殿するあり、いずれも用意極めて周到、時々声を張り上げて本隊の凡衆を整え敵近づくを告ぐ、その折々に随って音色確かに異なり、聞き馴れた人は何事を知らせ居ると判るよう覚ゆ。
けだしその本隊は牝猴と事馴れぬ牡と少弱輩より成り、母は児を背負う、先達猴の威容堂々と進むに打って変り、本隊の猴ども不規律甚だしく、千鳥足で囀り散らし何の考えもなくただただ斥候の用心深きを憑んで行くものと見ゆ、若猴数疋果を採らんとて後るれば殿士来って追い進ましむ。
母猴は子を乳せんとてちょっと立ち止まり、また時を浪費せじと食事しつつ毛を理める。他の若き牝猴は嫉妬よりか嘲笑的に眺められた返報にか、他の牝猴に醜き口を突き向け、甚だしき怒声を発してその脛や尾を牽き、また臀を咬むと相手またこれに返報し、姫御前に不似合の大立ち廻りを演ずるを酋長ら吠え飛ばして鎮静す。
一声警を告ぐれば一同身構えして立ち止まり、調子異なる他の一声を聞いて進み始む。既に畑に到れば斥候ら高地に上って四望し、その他はすこぶる疾く糧を集め、頬嚢に溢るるばかり詰め込んだ後多くの穂を脇に挟む。
予しばしば観しところ斥候は始終番し続け少しも自ら集めず、因って退陣事終って一同の所獲を頒つと察す。彼らまた水を求むるに敏く、沙中水もっとも多き所を速やかに発見し、手で沙を掘る事人のごとく、水深けば相互交代す、その住居は岩の拆けた間にあって雨に打たれず他の諸動物が近づき得ざる高処においてす。
ただし豹はほとんど狗頭猴ほどよく攀じ登ればその大敵で、時にこれを襲うあれば大叫喚を起す、土人いわく、豹は成長せる猴を襲う事稀に時々児猿を捉うと。この猴力強く動作捷く牙固ければ、敵として極めて懼るべきも、幸いにその働き自身を護るに止まり進んで他を撃たず、その力ほど闘志多かったら、二、三百猴一組になって来るが常事ゆえ、土人の外出は至難で小童の代りに武装した大人隊に畑を番せしめにゃならぬはずだ。しかし予はしばしばその犬に立ち掛かるを目撃し、また路上や林中で一人歩く婦女を撃つ由を聞いた。一度女人が狗頭猴に厳しく襲われ、幸いに行客に救われしも数日後死んだと聞いた事あると。
(大正九年五月、『太陽』二六ノ五)
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