(概言2の2)
『一話一言』一五にいわく、〈『寿世青編』いわく、伏気に三種眠法あり、病竜眠るにその膝を屈するなり、寒猿眠るにその膝を抱くなり、亀鶴眠るにその膝を踵くなり〉、今も俗に膝を抱いて眠るを猿子眠りというなりと。日本のを見ぬが熱地の諸猴を親しく見しに、猴ほど夜眼の弱いものはなく、日が暮れれば膝を立てて坐し、頭を膝に押し付け手で抱えて睡る。人が起すとちょっと面を揚げ、眼を瞬きしまた俯ぶき睡る。
惟うに日本の猴も同様でこれを猿子眠りというのだろ。頼光が土蜘蛛に悩まさるる折、綱、金時が宿直する古画等に彼輩この風に居眠る体を画けるを見れば、前に引いた信実の歌などに深山隠れの宿直猿とあるは夜を守って平臥せぬ意と見ゆ。眼が見えぬからのみでなく、樹上に夜休むに防寒のためかくして眠るのだろ。
ロバート・ショー『高韃靼行記』に一万九千フィートの高地で夜雲に逢うた記事あっていわく、こんな節は跪いて下坐し、頭を両膝間に挟むようにして、岸に凭せ、頭から総身を外套で洩れなく被い、風強からずば外套内を少し脹らせ外よりも暖かい空気を呼吸するに便にす、ただし足最も寒き故自身の諸部をなるべく縮める、かくして全夜安眠し得べし、外套だけ被って足を伸ばし臥ては束の間も眠られぬと。これすなわち猿子眠りだ。予はこれを知らず高山に寒夜平臥して足を不治の難症にしおわったから、記して北荒出征将士の参考に供う。
このついでに第四図に示すロリスはもっとも劣等な猴で、南インドとセイロンに産し夜分忍び歩いて虫鳥を食うために至って巨眼だが、昼間眠る態が粋のまた粋たる猿子眠りだ。さて吾輩在外の頃は、いずれの動物園でも熱地産の猴や鸚哥を不断人工で熱した室に飼ったが、近時はこれを廃止し食物等に注意さえすれば、温帯寒暑の変りに馴染み、至って健康に暮すという。何事も余り世話焼き致さぬがよいらしい。
上引、李時珍猴の記載に尻に毛なしとあるが、毛がないばかりでなく、尻の皮硬化して樹岩に坐するに便あり。発春期には陰部とともに脹れ色増す。古ギリシア外色盛行の世には、裸体少年が相撲場の砂上に残した後部の蹟を注意して必ず滅さしめ、わが邦にも「若衆の尻月を見て離れ得ぬ、念者や桂男なるらん」など名吟多し(『後撰夷曲集』)。
しかるに猴は尻の色が牝牡相恋の一大助たるのだ。本邦の猴は尻の原皮で栗を剥ぐとて栗むきと呼び、何の義か知らねど紀州でギンガリコと称す。西半球の猴は一同この原皮を欠き、アフリカのマイモン猴は顔と尻が鮮やかな朱碧二色で彩られ獣中最美という。
そもそも本篇は発端に断わった通り、読み切りのつもりだったが、人はその乏しきを憾み、われはその多きに苦しむ。積年集めた猴話の材料牛に汗すべく、いずれあやめと引き煩いながら書き続くる内、概言の第一章のみでも、かように長くなったから、第二章以下は改めて続出とし、ここに元本章の尻纏めに猴の尻の珍談を申し上げよう。
アリストテレスが夙く猴を有尾、無尾、狗頭の三類に分ったは当時に取っての大出来で、無尾は猩々、猿猴等、日本の猴等は有尾、さて狗頭猴はアラビアとアフリカに限り生ずる猛性の猴だが、智慧すこぶる深く、古エジプトで神と崇められた。人真似は猴の通性で、『雑譬喩経』に猴が僧の坐禅の真似して樹から落ちて死んだ咄あり。上杉景勝平素笑わなんだが猴が大名の擬して烏帽子を戴くを見て吹き出したといい、加藤清正は猴が『論語』を註するつもりで塗汚すを見、汝も聖賢を慕うかと笑うた由。
パーキンスの『アビシニア住記』一にアラブ人酒で酔わせて狗頭猴を捕える由言い、氏一日読書する側にこの猴坐して蠅を捉え、またその肩に上りて入墨した紋を拾わんと力めおり、氏が喫烟に立った間に氏の椅子に座し膝に書を載せ沈思の体までは善かったが、一枚一枚捲り裂きて半巻を無にした所へ氏が帰った。また氏がちょっと立つごとに跡へ坐って烟管を口にし、氏帰れば至って慎んで返却したは極めて可笑しかったとある。
またいわくすこぶる信ずべき人から聞いたは、猴曳きが寺の鐘を聴いて如法に身を浄めに行くとて、平生教えある狗頭猴に煮掛けた肉の世話を委ね置くと、初めは火を弄びながら番したれど、鶏肉熟せるを見て少しずつ盗み食いついに平らげてしまい、今更骨と汁のほかに一物なきを知って狼狽の末呻吟する、たまたま、鳶が多く空に舞うを見て自分の尻赤く鶏肉に擬うに気付き、身を灰塵中に転ばして白くし、越後獅子様に逆立ちこれを久しゅうせるを鳶が望んで灰塚の頂に生肉二塊ありと誤認し、二、三羽下り撃つところを取って羽生えたまま煮え沸く鍋に押し込むを、向いの楼の上で喫烟しながら始終見届けた人ありと。
『嬉遊笑覧』に『犬筑波集』猿の尻木枯ししらぬ紅葉かな、『尤の草紙』赤き物猴の尻、『犬子集』昔々時雨や染めし猿の尻、また丹前能日高川の故事を物語るところになんぼう畏ろしき物語にて候、猿が尻は真赤なと語りぬとあり。これら皆幼稚の者の昔々を語る趣なり。
猿は赤いといわんためまた猿と蟹の古話もあればなり、赤いとはまづかくと言うの訛りたるなり。まづかくは真如これなり、それを丹心丹誠の丹の意にまっかいといえるは偽りなき事なるを、後にその詞を戯れて猿の尻など言い添えて、ついに真ならぬようの事となって今はまっかな啌という、これは疑いもなく明白なるをまっかというなれど、実は移りて意の表裏したるなるべしと見ゆ。これで予も猿の尻は真赤いな。
(大正九年二月、『太陽』二六ノ二)
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