前田正名(まえだ まさな)
前田正名(1850〜1921)は、明治期の官僚。男爵。
山梨県知事、農商務相公務局長、東京農林学校長、農商務次官、貴族院議員、元老院議官などを歴任。
1907年(明治40年)北海道阿寒湖畔に居を構え、北海道東部の開発に貢献。
前田正名(1850〜1921)は、明治期の官僚。男爵。
山梨県知事、農商務相公務局長、東京農林学校長、農商務次官、貴族院議員、元老院議官などを歴任。
1907年(明治40年)北海道阿寒湖畔に居を構え、北海道東部の開発に貢献。
南方熊楠の手紙:履歴書(現代語訳12)
ロンドンで久しくいた下宿は、じつは馬部屋の2階のようなものであった。かつて前田正名氏に頼まれ、キュー皇立植物園長シスルトン・ダイヤー男を訪れた翌日、男爵より小生へ電信を発せられたが、町がわからずに(あまりに狭苦しい町なため)電信が届かなかったことがある。
南方熊楠の手紙:"南方マンダラ",「不思議」について,その他(現代語訳21)
予は、一昨々夜少しも眠らなかった。これは英国へ急ぐ投書があって、すこぶる長文のものなので、直しているうちに、また書き添えるべきことが起こり、1を出してはあとがちょっと記憶し出せぬという双方相対のものなので、眠らずに書いている。なにか3日3夜も眠らずに生きているのは妙と思う人もあるだろうが、前田正名氏などもこの流儀と自ら語られたことがある。
南方熊楠の手紙:浄愛と不浄愛,粘菌の生態,幻像,その他(現代語訳19)
ご承知のように西洋に複姓が多い。小生の知人にサー・シスルトン・ダイヤーという人がいた。昨年84,5で死んだ王立植物園の園長で、小生がもと農商務次官であった前田正名氏を連れていき饗応されたことがある。Thistleton-Dyerという苗字である。ThistletonもDyerも別々の苗字である。松井南方のようである。
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