エドウィン・アーノルド(Arnold, Edwin)
エドウィン・アーノルド(1832年〜1904年)。イギリスの詩人・ジャーナリスト。
ロンドン大学、オックスフォード大学で学ぶ。インドのデカン大学の学長を務め、帰英後デーリーテレグラフ紙の編集者となる。
1889年(明治22年)に来日。『ヤポニカ( Japonica)』を著しました。
現在入手できるのは『アーノルド ヤポニカ』 (新異国叢書 (第3輯8)) 。
南方熊楠(1867年~1941年)は、ロンドン時代にエドウィン・アーノルドの世話になりました。
アーノルド
南方熊楠の手紙:履歴書(現代語訳7)
それなのに不幸にも南阿戦争(※1899年〜1902年、トランスヴァール共和国及びオレンジ自由国と英国との間に行なわれた戦争※)が起こり、英人はえらいもので、このようなことが起こると船賃が安くても日本船に乗らず高い英国船に乗るという風で、当時小生はディキンズから金を出してもらい、フランスの美術商ビング氏(先年本願寺の売り払い品を見に渡来した人)より浮世絵を貸してもらい、高橋入道謹一(もと大井憲太郎氏の子分、この高橋をエドウィン・アーノルド方へ食客に世話したときの珍談はかつて『太陽』へ書いたことがある。アーノルドも持て余していた)という何ともわからぬ喧嘩好きの男を使い売り歩き、買ってくれさえすればおもしろくその画の趣向や画題の解説をつけて渡すことをしたが、これも銭が懐のなかに留まらず、高橋が女に、小生はビールに飲んでしまい、南阿戦争は永く続き、ケンブリッジに日本学講座の話も立ち消えになったから、決然、蚊帳のごとき洋服一枚まとって帰国いたした。外国にまる15年いたのだ。
南方熊楠の随筆:十二支考 馬に関する民俗と伝説(その6)
その頃故エドウィン・アーノルドが東京に来寓し、種々筆した内に「初め冗談中頃義理よ、今じゃ互いの実と実」てふ都々逸を賞めて訳出した。