粘菌の神秘について(現代語訳3)

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粘菌の神秘について(現代語訳)

  • 1 粘菌,鬼市
  • 2 古蹟の保存
  • 3 民俗学
  • 4 社寺の保存

  • 3 民俗学

     

     お話のわが国にジプシーのようなものがあった例は、大江匡房の『傀儡子記』で十分わかり申します。決してただの遊女ではありません。フランスなどで、中古、ジプシーのようなものが来て ribauds という一群をなし、諸種のまやかし(詐術)をやらかし、また軍陣に従い、妻、娘を軍士の淫事に供し、はなはだしい場合は長吏 le rois ribauds まであったのだ。このこと、また御入用ならば、引き出し写し差し上げましょう。

    美濃のような、広野が多く「水草を追って」移住することができる土地に多かったものと見え申します。塚のことも貴説に感服しております。塚より出る物のうちには、今日とてもできない精巧な器物が多いです。これを蛮夷蒙昧の民だけの塚とするのは、はなはだこじつけであろう。

     榎の説は、今月末に一覧を、何か註し添えて返し上げましょう。

     またわが国に道教が不成文で古く行われた説も、貴下が初めてのことと仰感し申し上げています。それについて申し上げることは、『南留別志』に豹をナカツカミと訓読みするのはいかなることであろうと、と疑っている。小生が思うに、かの豹尾神を中つ神とするなどのことより起こったのではないか。

     欧米各国にみな Folk-lore Society がある。英国には G.T.Gomme がもっともこのことに力を尽くし、「里俗、古譚はみな事実に基づいている。筆にした史書は区域に限りがあり、僻説牽強の言葉が多い。里俗、古譚はことごとく今を去ること遠き世に造り出されたものなので、史書に見ることができない史蹟をみることができる」と考えている。その著書は多いけれど、みな里俗、古譚によって英国人の発達の蹟を考えたのだ。今年の始めの慶賀に。今皇が特にその功績を賞し、男爵を授けた。

    小生自身はこれまでハーバート・スペンサー福沢氏の説を固守し、何の学会にも属していないが、わが国にもなんとか Folk-lore 会の設立があってほしい。また雑誌御発行ならば、'Notes and Queries'(『大英類典』に、もっとも古く続く雑誌のなかで随一と評してある。近日まで今年死んだチャーレス・ジルク男爵が持ち主で、自らも時々書かれたいた。小生はキリスト教のWandering Jew が仏経の賓頭盧(びんずる)の訛伝であろうとの説を出してから、特別寄書家として百余篇の論文を出した)のようなものとし、文学、考古学、里俗学の範囲において、各人の随筆と問いと答えを精選して出すこととしたら、はなはだ面白いだろうと思う。世界で有名な雑誌なので、東京図書館にも1本はあるだろう。この通りのものを出したら、大いに流行ることと存じ申し上げます。

     小生、『黄表紙百種』(博文館で出した「続帝国文庫第三四編にある)、「浮世操(あやつり)九面十面」を見ると、西の宮三郎兵衛という町人がエビスの面をかぶり、番頭黒兵衛が大黒の面をかぶり、手代鬼助が鬼の面をかぶり、時々暴れまわる、云々。このとき、山の神が杓子を持って大いに暴れるので、今の世に十二神楽の山の神は杓子を持って騒ぐ、云々、とある山の神の面とはどのようなものであろうか。また十二神楽とはどんなものか。

    山神杓子とは霊芝(まんねんたけ)をそのように呼ぶ所がある。たしか蘭山の『本草啓蒙』に出ていた。熊野では、蘭科の腐生植物ツチアケビ(山珊瑚)をヤマノカミノシャクジョウと申す(『和漢三才図会』山草類の終わりにちょっと図説がある)。那智で村人に聞いたのは、「この草には異霊がある。人がこれを見つけ出して即時に採らず、村に帰って他人に語り行って見ると、底にはもはやこの草はなく、はるかに飛び移って生えている」と。疝気(せんき:下腹部や睾丸が腫れて痛む病気の総称)などの薬になるといって、買いに来るのだ。

     また「山の神の小便」と熊野でいうのは、イボタ鑞が自然にでき、葛などにかかり滝が流れ落ちるように美しいものである。また山姥の髪というのは、長い髪のようなものが木から垂れ下がり、黒色である。小生がこれを検したところ、マラスミウスという菌の不完全に発生したものである。時としては完全に発生し、笠を付けているものもある。

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    「粘菌の神秘について」は『南方熊楠コレクション〈第2巻〉南方民俗学』 (河出文庫) 所収。

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