鶏に関する伝説(その4)

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  • 概説

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     昔趙人藺相如りんしょうじょが手に鶏を縛るの力なくして、秦廷に強勢の昭王をやりこめ天下に二つとない和氏かし連城の玉を全うして還ったは、大枚の国費で若い女や料理人まで伴れ行き猫のあくびほどの発言もし得なんだ人物と霄壌しょうじょうだが、このギリシア婦人が揚威せる敵軍に直入して二つしかないその夫の大事の玉を助命して帰ったは、勇気貞操兼ね備わり、真に見揚げたとまで言い掛けたが、女を見揚ぐるはどこぞに野心あるからと仏が戒めたから中止として、谷本博士が言われた通り、婦女に喉を切るたしなみなどを仕込むよりは、睾丸の命乞いは別として、勇胆弁才能く敵将を説伏するほどの心掛けを持たせたい事である。

     俗に陰嚢の垂れたるは落ち着いたしるしで、昔武士が戦場で自分の剛臆を試むるに陰嚢を探って垂れ居るか縮み上ったかを検したというが、パッチ股引ももひきジャあるまいし甲冑を容易たやすく探り得ただろうか。したがって陰嚢の垂れた人は気が長いという。これは本当で、かく申す熊楠のは何時いつ糸瓜へちまのごとし。それ故か何事をも糸瓜とも思わず、ブラブラと日を送るから昨年の「猴に関する民俗と伝説」も麁稿そこうは完成しながら容易に清書せず忘れてしまい、歳迫ってようやく気が付き清書に掛かったが間に合わず、ついに民俗までで打ち切って伝説の部は出し得なんだに由って今この篇は先例を逆さまに伝説から書き始めた。

    こんな気の長い人が西洋にもあったものか、チャムバースの『ブック・オヴ・デイス』に珍譚あり。昔話に物言わずに生まれ付いた人が騎馬して橋を過ぐる内、顧みてその家来に汝は鶏卵を好くかと問うとハイ好きますと答えた。何事もなしに一年経って一日同じ橋を騎馬で過ぐる内、同じ家来に去年の問いを続けるつもりでどんなのをと問うと、家来も抜からず焼いたのであります。これよりも豪いのはグラスゴウ附近カムプシーちゅう所の牧師アーチブルド・デンニストンで、一六五五年その職を免ぜられ、王政恢復(一六六〇年)の後復職した。

    免職前に講演第一条を終った続きの第二条を復職後述ぶる発端に、時節は変ったが聖教はいつも変らぬと口を切ったそうだ。ところがこの牧師も瞠若どうじゃくと尻餅をかにゃならぬ珍報が一八六二年の諸新聞紙に出た。紀元七十九年ヴェスヴィウス山大噴火のみぎり、ポンペイ市全滅に際しその大戯場で演劇を催しいた実跡あるに乗じ、今度ランギニてふ山師がポンペイの廃趾に戯場を建て、初演の広告に当戯場は千八百年目にいよいよまた「行儀の娘」の外題で開演するに付き、前の座主マルクス・キンツス・マルチウスの経営中に劣らず出精しゅっせい致しますれば、貴顕紳士は相替らず御贔屓ごひいき御入来を願うと張り出した。

    熊楠いう、東洋にはずっと豪いのがあって、玄奘三蔵の『大唐西域記』巻十二烏※国うせつこく[#「金+殺」、140-14]の条に、その都の西二百余里の大山頂に卒都婆そとばあり、土俗曰く、数百年前この山の崖崩れた中に比丘びく瞑目めいもくして坐し、躯量偉大、形容枯槁ここうし、鬚髪しゅはつ下垂して肩にかかり面にかむる。王も都人も見物に出懸け香花こうげを供う、この巨人は誰だろうと王が言うと、一僧これは袈裟けさを掛け居るから滅心定めっしんじょうに入った阿羅漢だろう、この定に入るに期限あり、※(「特のへん+廴+聿」、第3水準1-87-71)かんち(わが邦の寺でたたき鳴らす雲板、チョウハンの類)の音を聞けば起るとも、日光に触れば起るともいう、さもない間は動かず、じょうの力で身体壊れず、かく久しく断食した人が定を出たら酥油そゆを注いで全身をうるおし、さて※(「特のへん+廴+聿」、第3水準1-87-71)稚を鳴らしてますがよいと答えた。

    その通りして音を立てる事わずかにして羅漢眼を開き、久しく見廻して汝ら何人で形容卑劣なくせに尊い袈裟を被るぞと問うた。かの僧我は比丘だと答うると、しからば我師迦葉波かしょうは如来は今何処いずこにありやと問う。かの如来は大涅槃だいねはんに入りて既に久しと聞いて目を閉じ残念な顔付しまた釈迦如来は世に出たかと問うから、昔生まれて世を導きすでに寂滅じゃくめつされたと答う。久しく頭をした後虚空こくうに昇り、自分で火を出し身をいて遺骸地に堕ちたのを、王が収めてこの塔を立てたと見ゆ。

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    「鶏に関する伝説」は『十二支考〈下〉』 (岩波文庫)に所収

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