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けだし金の卵とキンダマ、国音相近きを以てなるのみならず、梵語でもアンダなる一語は卵をも睾丸をも意味するからだ。支那でも明の劉若愚の『四朝宮史酌中志』一九に内臣が好んで不腆の物を食うを序して、〈また羊白腰とはすなわち外腎卵なり、白牡馬の卵に至りてもっとも珍奇と為す、竜卵という〉。
『笑林広記』に孕んだ子の男女いずれと卜者に問うに、〈卜し訖りて手を拱いて曰く、恭喜すこれ個の卵を夾むもの、その人甚だ喜び、いわく男子たること疑いなし、産するに及びてかえってこれ一女なり、因って往きてこれを咎む、卜者曰く、これ男に卵あり、これ女これを夾む、卵を夾む物あるは女子にあらずして何ぞ〉。睾丸を卵と呼んだのだ。
グベルナチス伯曰く、古ローマ人の迷信に牝鶏が卵を伏せ居る最中に雷鳴すれば、その卵敗れて孵らずと、プリニウス説にこれを防ぐには卵の下草の下に鉄釘一本、または犁のサキで済い揚げた土を置けば敗れずと、コルメラは月桂の小枝とニンニクの根と鉄釘を置けと言った。これ電を鉄製の武器とし、また落雷の際、硫黄の臭あるより、似た物は似た物で防ぐてふ考えから、釘と硫黄に似た臭ある枝や根で防ぎ得としたのだ。
今もシシリーでは牝鶏が卵を伏せ居る巣の底へ釘一本置きて、未生の雛に害あるすべての騒々しい音を、釘が呼び集め吸収すると信ず。さて珍な事はインドの『委陀』に雷神帝釈を祈る偈あり「帝釈よ、我輩を害するなかれ、我輩を壊るなかれ、我輩の愛好する歓楽を取り去るなかれ、ああ大神よ、ああ強き神よ、我輩のアンダ(睾丸または卵)を潰すなかれ、我輩腹中の果を破るなかれ」と。
これは帝釈は自分去勢されたが(帝釈雄鶏に化けて瞿曇仙人の不在に乗じ、その妻アハリアに通じ、仙人詛うてその勢を去った譚は前(別項猴の話)に出した)、雷、震して人を去勢し能うとインド人は信じたのだと。わが邦でも落雷などで極めて驚くと睾丸釣り上がると言うが、インドでは釣り上がるどころか天上して失せおわるとしたのだ。件の偈は牝鶏が卵を雷に破らるるを惧れて唱うるようにも、男子が雷に睾丸を天まで釣り上げらるるを憂いてのようにも聞える。
実に人間に取ってこれほど大事の物なく、一七〇七年にオランダで出版したシャール・アンションの『閹人論』はジュール・ゲイの大著『恋愛婦女婚姻書籍目録』巻三に出るが、余が大英博物館で読んだアンションの『閹人顕正論』は一七一八年ロンドン刊行で、よほど稀覯の物と見え、右の目録にも見えぬ。因って全部二百六十四頁を手ずから写し只今眼前にある。これはオランダ板の英訳かまたまるで別書か目下英仏の博識連へ問い合せ中だ。
十八世紀の始め頃欧州で虚栄に満ちた若い婦女が力なき老衰人に嫁する事荐りなりしを慨し、閹人の種類をことごとく挙げて、陽精涸渇した男に嫁するは閹人の妻たるに等しく何の楽しみもなければ、それより生ずる道徳の頽敗寒心すべきもの多しとて、広く娶入り盛りの女や、その両親に諭した親切至れる訓誡の書だ。著者アンションは宗教上の意地より生国フランスからドイツへ脱走し、プロシャで重用され教育上の功大いに、また碩儒ライブニツと協力してベルリン学士会院を創立した偉人で、その玄孫ヨハン・アンションも史家兼政治家として人物だった。
その『閹人顕正論』の四二頁已下にいわく、十一世紀にギリシア人、イタリアのベネヴェント公と戦い、甚くこれを苦しめた後、スポレト侯チッバルドこれを援けてギリシア軍を破り、数人を捕えこれを宮してギリシアの将軍に送り、ギリシア帝は特に閹人を愛するからこれだけ閹人を拵えて進ずる、なおまた勝軍して一層多く拵えて進ぜようと言いやった。その後また多くギリシア人を虜して一日ことごとくこれを宮せんとす。
爾時その捕虜の一妻大忙ぎで走り込み、侯と話さんと乞うた。侯その女に何故さように泣き叫ぶかと問うと、女対えて「わが君よ、君ほどの勇将がギリシアの男子が君に抵抗し能わざるに乗じ、か弱き女人と戦うて娯しまんとするを妾は怪しむ」といった。侯昔女人国が他国の男子と戦うた以来かつて男子が女子と戦うたと聞かぬというと、ギリシア婦人いわく「わが君よ、妾らの夫にある物あって妾輩に健康と快楽と子女を与う。その大事の物を夫の身より奪い去るとは、世にこれほど女人と戦い苦しむる悪業またあるべきや、これ夫を宮するならず実に妾輩を去勢するに当る。過ぐる数日間わが蔵品家畜を君の軍勢に多く掠められたが苦情を述べず」と言いさして侯の面を見詰め、「心安い多くの婦人から奪われた大事の物の紛失は癒すに術なきを見てやむをえず、勝者の愍憐を乞いに来ました」と、この質直な陳述を聴いていかでか感ぜざらん、大いに同情してその女に夫ばかりか掠奪物一切を還しやったとあれば、他の捕虜どもは皆去勢されたので「高縄の花屋へ来るも来るも後家」、「痛むべし四十余人の後家が出来」とある。
亭主に死に別れたは諦めも付こうが、これはまた生きながら死んだも同然の亭主の顔を見るたびに想い出す、事実上の後家が大勢出来たのだ。さて彼女が夫を伴れ去らんとするに臨み、侯呼び還して、今後また汝の夫が干戈を執ってわが軍に向わばどう処分すべきやと尋ねると、女大いにせき込んで「眼も鼻も手足もわが夫の物なれば罪相応に取り去られよ、夫の身にありながら妾の専有たる大事の物は必ず残してくだされ」と、少しの笑顔も悪からず、あぶないぞえと手を採って導き帰るぞ哀れなるとある。
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