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欧州で中古盛んに読まれた教訓書『ゲスタ・ロマノルム』一三九譚に、アレキサンダー王大軍を率いある城を囲むに、将士多く創を蒙らずに死す。王怪しんで学者を集め問うに、皆いわく、これ驚くに足らず。この城壁上に一のバシリスクあり、この物睨めば疫毒あって兵士を殺すと答う。王どうしてこれを防ぐべきと尋ねると、王の軍勢と彼の居る壁との間の高い所に鏡を立てよ。バシリスクの眼力鏡より反射して彼自身を殺すはずという。由ってかくしてこれを平らげたと見ゆ。
バシリスク一名コッカトリセは、蛇また蟾蜍が雄鶏が産んだ卵を伏せ孵して生じ、蛇形で翼と脚あり、鶏冠を戴くとも、八足または十二足を具え、鈎ごとく曲った嘴ありとも、また単に白点を頂にせる蛇王だともいう。雄鶏が卵を生む例はたまたまあって余も一つ持ち居る。つまり蛇や蟾蜍の毒気を雄鶏の生んだ卵が感受して、この大毒物を成すと信じたので、やや似た例は支那説に雉と蛇が交わりて蜃を生む。
蛇に似て大きく、腰以下の鱗ことごとく逆生す。能く気を吐いて楼台を成す。高鳥、飛び疲れ、就いて息みに来るを吸い食う。いわゆる蜃楼だという。一説に正月に、蛇、雉と交わり生んだ卵が雷に逢うと、数丈深く土に入って蛇形となり、二、三百年経て能く飛び昇る。卵、土に入らずば、ただ雉となると(『淵鑑類函』四三八、『本草綱目』四三)、サー・トマス・ブラウン説に、古エジプトの俗信に、桃花鳥は蛇を常食とするため、時々卵に異状を起し、蛇状の子を生む。因って土人は力めてその卵を破り、また卵を伏せるを許さずと。ヒエロム尊者説に、これは古エジプト人が崇拝した桃花鳥でなく、やや悪性の黒桃花鳥だと。
さて、バシリスクが諸動物および人を睨めば、その毒に中って死せざる者なく、諸植物もことごとく凋み枯る。ただ雄鶏を畏れその声を聞けば、たちまち死す。故にこの物棲むてふ地を旅する者、必ず雄鶏を携えた。鼬と芸香もまたその害を受けず。鼬これと闘うて咬まれたら芸香を以てその毒を治し、また闘うてこれを殪す。古人これを猟った唯一の法は、毎人鏡を持ちて立ち向うに、バシリスクの眼毒が鏡のためにその身に返り、自業自得でやにわに斃れたのだ。
一説にこの物まず人を睨めば、人死すれど、人がまずこの物を見れば害を受けずと。さればドライデンの詩にも「禍難はコッカトリセの眼に異ならず、禍難まず見れば人死に、人まず見れば禍難亡ぶ」とよんだ(ブラウンの『俗説弁惑』ボーンス文庫本一巻七章および註。『大英百科全書』十一板六巻六二二頁。ハズリット『諸信および俚俗』一巻一三二頁)。一八七〇年板、スコッファーンの、『科学俚伝落葉集』三四二頁已下に、バシリスク譚は随分古く、『聖書』既にその前を記し、ギリシア・ローマの人々はこれを蛇中の王で、一たび嘯けば諸蛇這い去るというた。中世に及んで多少鶏に似たものとなりしが、なお蛇王の質を失わで冠を戴くとされた。
最後には劇毒ある蟾蜍の一種と変った。初めはアフリカの炎天下に棲んで他の諸動物を睨み殺し、淋しき沙漠を独占すといわれたが、後には、井や、鉱穴や、墓下におり、たまたま入り来る人畜を睨み殪すと信ぜられた。すべて人間は全くの啌はなく、インドのモンネース獣は帽蛇と闘うに、ある草を以てその毒を制し、これを殺すという。それから鼬が芸香を以てバシリスクを平らげるといい出したのだ。また深い穴に毎も毒ガス充ちいて入り来る人を殺す。それを不思議がる余り、バシリスクの所為と信じたのだと説いたは道理ありというべし。一八六五年板、シーフィールドの『夢の文献および奇事』二巻附録夢占字典にいわく、女がバシリスクを産むと男が夢みればその男に不吉だが、女がかかる夢を見れば大吉で、その女富み栄え衆人に愛され為すところ成就せざるなしと。
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