(話の本文3)
『太平記』に三井の鐘破れたるを、小蛇来り尾で叩いて本に復したとあるは、竜宮から出た物ゆえ、竜が直しに来た意味か、または鐘の竜頭が神異を現じた意味だろう、名作の物が、真物同然不思議を働く例は、『酉陽雑俎』三に、〈僧一行異術あり、開元中かつて旱す、玄宗雨を祈らしむ、一行いわく、もし一器上竜状あるものを得れば、まさに雨を致すべし、上内庫中において遍ねくこれを視せしむ、皆類せずと言う、数日後、一古鏡の鼻の盤竜を指し、喜びて曰くこれ真竜あり、すなわち持ちて道場に入る、一夕にして雨ふる〉。
『近江輿地誌略』十一には、秀郷自分この鐘を鋳て三井に寄附せりとし、この鐘に径五寸ばかりの円き瑕あり、土俗いわく、この鐘を鋳る時、一女鏡を寄附して鋳物師に与う、しかれども、心私かに惜しんだので、その鏡の形に瑕生じたと。また『淡海録』曰く、昔赤染衛門、若衆に化けてこの鐘を見に来り、鐘を撫ぜた手が取り著いて離れず、強く引き離すと手の形に鐘取れた痕なり、また染殿后ともいうと。
『誌略』の著者は、享保頃の人だが、自ら睹た所を記していわく、この鐘に大なる※裂[#「比+皮」、127-5]あり、十年ばかりも以前に、その裂目へ扇子入りたり、その後ようやくして、今は毫毛も入らず、愈えて※[#「比+皮」、127-7]裂なし、破鐘を護る野僧の言わく、小蛇来りて、夜ごとにこの瑕を舐むる故に愈えたりと、また笑うべし、赤銅の性、年経てその瑕愈え合う物なり、竜宮の小蛇、鐘を舐りて瑕を愈やす妙あらば、如何ぞ瑕付かざるように謀らざるや、年経て赤銅の破目愈え合うという事、臣冶工に聞けりと。
予今年七十六歳の知人より聞くは、若い時三井寺で件の鐘を見たるに※[#「比+皮」、127-11]裂筋あり、往昔弁慶、力試しにこれを提げて谷へ擲げ下ろすと二つに裂けた、谷に下り推し合せ長刀で担うて上り、堂辺へ置いたまま現在した、またその鐘の面に柄附の鐘様の窪みあり、竜宮の乙姫が鏡にせんとて、ここを採り去ったという、由来書板行して、寺で売りいたと。
何がな金にせんと目論み、一つの鐘に二つまで瑕の由来を作った売僧輩の所行微笑の至りだが、欧州の耶蘇寺にも、愚昧な善男女を宛て込んで、何とも沙汰の限りな聖蹟霊宝を、捏造保在した事無数だ。試みに上に引いたコラン・ド・プランチーの『評彙』から数例を採らんに、ローマにキリストの臍帯および陰前皮と、キリストがカタリン女尊者に忍び通うた窓附の一室、またアレキシス尊者登天の梯あり。
去々年独軍に蹂躙されたランスの大寺に、石上に印せるキリストの尻蹟あり、カタンにアガテ女尊者の両乳房、パリ等にキリストの襁褓、ヴァンドームにキリストの涙、これは仏国革命の際、実検して南京玉と判った。またローマに、日本聖教将来の開山ハビエロの片腕、ロヨラ尊者の尻、ブロア附近にキリストの父が木を伐る時出した声、カタロンとオーヴァーンは、聖母マリアの経水拭いた布切、オーグスブールとトレーヴにベルテレミ尊者の男根、それからグズール女尊者の体はブルッセルに、女根と腿はオーグスブールに鎮坐して、各々随喜恭礼されたなど、こんな椿事は日本にまたあるかいな。
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「田原藤太竜宮入りの話」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収