(竜の起原と発達6)
右の話にあるヴァラヌスは、アフリカから濠州まで産する大蜥蜴で、まず三十種ある、第五図はナイル河に住み、水を游ぐため尾が横扁い。の卵を貪り食うから土人に愛重さる。この一属は他の蜥蜴と異なり、舌が極めて長い。線条二つに分れたるを揺り出す状蛇と同じ。故に支那でこれを蛇属としたらしく、〈鱗蛇また巨蟒、安南雲南諸処にあり、※蛇[#「虫+冉」、183-7]の類にして四足あるものなり、春冬山に居し、夏秋水に居す、能く人を傷つく、土人殺してこれを食う、胆を取りて疾を治し甚だこれを貴重す〉という(『本草綱目』)。
学名ヴァラヌス・サルヴァトル、北インドや支那から北濠州まで産し、長七フィートに達しこの属の最大者だ。前に述べたカンボジア初王の前身大蜥蜴だった故、国民今に重舌を遣うとあるはこの物だろう。セイロンではカバラゴヤと呼び、今もその膏を皮膚病に用い、また蒟醤葉に少し傅けて人に噛ませ毒殺す。『翻訳名義集』に徳叉迦竜王を現毒また多舌と訳しあるは、鱗蛇に相違なく、毒竜の信念は主にこの蜥蜴より出たのだろう。
仏在世、一種姓竜肉を食い、諸比丘またこれを食うあり、竜女仏の牀前に到りて泣く、因って仏竜の血骨筋髄一切食うを禁じ、身外皮膚病あらば竜の骨灰を塗るを聴すとあるも、この蜥蜴であろう。
また倶梨迦羅竜王支那で黒竜と訳し、不動明王の剣を纏い居る。これも梵名クリカラサで一種の蜥蜴だ。このほか仏経の諸竜の名を調べたら諸種の蜥蜴を意味せるが多かろうが、平生飲む方に忙しき故、手を着けなんだ。
それから今の学者が飛竜と呼び、インドのマドラスや後インドに二十種ばかり産する蜥蜴ありて、長十インチ以内で脇骨が長くて皮膜を被り、伸縮あたかも扇様で清水の舞台から傘さして飛び下りるごとく、高い処から斜に飛び下りること甚だ巧い。
全く無害のものだが、われらごとき大飲家は再従兄弟までも飲みはしないかと疑わるるごとく、蜥蜴群に毒物と言わるるものが多いからこれも憂には洩れぬわが身なりけりで、十六世紀に航海大家マゼランと一所に殺されたバルボサの航海記に、マラバル辺の山に樹から樹へ飛ぶ翼ある蛇あり、大毒ありて近づくものを殺すとあるは、覿切この物の訛伝だ(一五八八年版ラムシオ『航海旅行記全集』一巻三〇〇葉)。
マレー半島のオーラン・ラウト人信ずらく、造物主人魂を石に封じ、大盲飛竜して守らしむ。その乾児がかの地に普通の飛竜で毎も天に飛び往き、大盲飛竜より人魂を受けて新産の児輩に納れる。故に一疋でも飛竜を殺さば、犯人子を産んでも魂を納れてくれぬとてこれを殺さず。またこの飛竜能く身をに変じ、大盲飛竜の命令次第人を水に溺らせ殺すという(スキートおよびブラグデン、二巻二七頁)。
支那の応竜始め諸方の翼ある竜の話は、過去世のプテロダクチルスなど有翼蜥蜴の譚を伝え、化石を見て生じたという人もあれど、予はこの現存する飛竜てふ蜥蜴に基づいたものと惟う。
インドで蜥蜴を見て占う事多く、タミル語の諺に「全村の吉凶を予告する蜥蜴が汁鍋に堕ちた」というは、まずはわが「陰陽師身の上知らず」に似て居る(一八九八年『ベンガル亜細亜協会雑誌』六八巻三部一号五一頁)。カンド人は、誓言に蜥蜴の皮を援いて証とす(バルフォール『印度事彙』三版二巻七三〇頁)。いずれも以前蜥蜴を崇拝した遺風であろう(紀州日高郡丹生川で、百年ばかり昔淋しい川を蜥蜴二匹上下に続いて游ぎ遊ぶを見、怖れて逃げ帰りしを今に神異と伝え居る)。
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「田原藤太竜宮入りの話」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収