(竜とは何ぞ4)
殺婦長者既に多くの妻を先立てし罪業を懼れ、新妻を娶ると直ぐさま所有鎖鑰を彼女に附し、わが家の旧法仏僧に帰依すれば、汝も随時僧に給事して、惰るなかれというた。爾来僧を請ずるごとに、妙光が自手給事するその間、美僧あれば思い込んで記え置く。
ある日長者外出するとて、わが不在中に僧来らば必ず善く接待せよと言って置き、途上数僧に逢うて、われは所用あって失敬するが、家に妻が居る故必ず食を受けたまえというたので、僧その家に入ると、妙光たちまち地金を露わし、僧の前にその姿態嬌媚の相を作す。
僧輩無事に食い了って寺に還り、かかる所へ往かぬが好かろうと相戒めて、明日より一僧も来ない。長者用済み還って妻に問うに、主が出で往った日来た限り、一僧も来らずと答う、長者寺に往って問うに、われら不如法の家に入らぬ定めだと対う。
長者今後は必ず如法に請ずべければ何分前通りと切願して、僧輩も聞き入れ、他日来て食を受く、長者すなわち妙光を一室に鎖閉め、自ら食を衆僧に授くるその間、妙光室内でかの僧この僧と、その美貌を臆い出し、極めて愛染を生じ、欲火に身の内外を焼かれ、遍体汗流れて死んだ。長者僧を供養しおわり、室を開けて見れば右の始末、やむをえず五色の氈もてその屍を飾り、葬送して林中に到る。
折悪しく五百群賊盗みし来って、ここに営しいたので、送葬人一同逃げ散った。群賊怪しんで捨て去られた屍を開き、妙光女魂既に亡たりといえども、容儀儼然活けるがごとく、妍華平生に異ならざるを覩、相いいて曰く、この女かくまで美艶にして、遠く覓むるも等類なしと、各々染心を生じ、共に非法を行いおわって、礼金として五百金銭を屍の側において去った。天明に及び、四方に噂立ち皆いわく、果して相師の言のごとく、妙光女死すといえども、余骸なお五百人に通じ、五百金銭を獲たと。
妙光死して天竺の北なる毘怛吐泉の竜となり、五百牡竜来って共に常にこれに通じた。世尊諸比丘に向いその因縁を説きたまわく、昔迦葉仏入滅せるを諸人火葬し、舎利を収め塔を立てた時、居士女極めて渇仰して明鏡を塔の相輪中に繋ぎ、願わくはこの功徳もて後身世々わがある所の室処光明照耀日光のごとく、身に随れて出ん事をと念じた。その女の後身が妙光女で、願の趣聞き届けられて、居所室内明照日光のごとくだった。
かく赫耀ながら幾度も転生る中、梵授王の世に、婆羅尼斯城の婬女に生まれ賢善と名づけ、顔容端正人の見るを楽ぶ。ところで予て王の舅と交通した。ある時五百の牧牛人芳園で宴会し、何とよほど面白いが、少女の共に交歓すべきを欠くは残念だ、一人呼んで来るが好い、誰が宜ろうと言うと、皆賢善女賛成と一決し、呼びに行くと、かの婬女金銭千文くれりゃ行こう、くれずば往かぬというたので、まず五百金銭を与えて歓を得、戯れ済んでまた五百金銭を渡せば如何といい、婬女承諾して五百銭を受け、汝ら先往きて待ちおれ、我飾して後より行こうという。
衆去りて後婬女われかく多勢を相手に戯れては命が続かぬ、何とか脱れようをと案じて、かつて相識った王舅に憑みて救済を乞わんと決心し、婢をして告げしめしは、かくかくの次第で、妾迂闊の難題を承諾したが、何が何でも五百人は一身で引き受けがたい、さりとて破談にせば倍にして金を返さにゃならず、何とか銭も返さず身をも損ぜぬよう計らいくだされたいと頼むと、平常悪からぬ女のこと故、王の力を仮りて女を出さず五百銭をも戻さずに、五百人を巻いてしまわせた。爾時辟支仏あって城下に来りしを、かの五百牧牛人供養発願して、その善根を以てたとい彼女身死するとも残金五百銭を与えて、約のごとく彼と交通せんと願懸した。
その業力で以来五百生の内、常に五百金銭を与えて、彼女と非法を行うたと仏が説かれた。これで仏の本説は、人の善き事は善く、悪しき事は悪しく、箇々報いが来り、決して差し引き帳消してふ事がないと主張するものと判る。
すなわち鏡を捧げた功徳で発願通り飛び切りの別嬪に生まれるが、他の業報で娼妓に生まるるを免れず、娼妓営業中五百人を欺いた報いで、牧牛人輩の発願そのまま、五百金銭を与えて死骸を汚さるるを免れぬは、大功は小罪を消し一善は一悪を滅すと心得た今日普通の業報説と大いに差うようで、こんな仏説を呑み込み過ぎると、重悪を犯した者は、小善を治めても及び着かぬてふ自暴気味を起すかも知れず、今日の小乗仏教徒に、余り大事業大功徳を企つる者なきは多少この理由にも基づくなるべし。
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「田原藤太竜宮入りの話」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収