犬に関する伝説(その9)

犬に関する伝説インデックス


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     『仏説楼炭経るたんきょう』一に拠れば、須弥山しゅみせんの山の北方の天下鬱単越洲の人、通歯髪紺青こんじょう色で身の丈八丈、面色同等長短また等し。通歯とはいわゆる一枚歯だろう。仏の三十二相の第二は螺髪らほつ右旋うせん、その色紺青(『方広大荘厳経』三)、帝釈たいしゃく第一の后舎支しゃし、目清くして寛に、開いてあり、髪青く長く黒く一々めぐる(『毘耶婆びやば問経』下)。インドでは中国で漆黒というに異なり、碧黒を最美としたのだ。

     『万葉集』に美髪をたたえてミナのワタとあるを面妖に思い、予試みにミナという溝中の小螺を割って見るとその腸が美しい碧黒色だったので、昔の日本人もインド人と同好だったと知った。それからこの北洲の人はことごとく十善を行い悪行を教えさず。みな寿千歳で欠減する者なし。死後は※(「りっしんべん+刀」、第3水準1-84-38)利天とうりてんに生まれ天上で終ってこの閻浮提えんぶだい洲の富貴人に生まれる。北洲の人大小便すれば自ずから地下に没し、その地清潔で糞臭の処なし。人死すれば好衣もて飾り、少しもかずに四辻に置くと鬱遮鳥が片付けて洲外に持ち去る。浄き粳米ありて耕作入らず自然に生え一切の味を出す。それを釜に盛りて焔味球という珠を下に置けば、その光で飯が熟するを四方の人来り食うに尽きず。食いやんで面色潤沢で威神あり。

    盗賊悪人も我妻子という事もなし。男女もし婬慾を起すも相見て語らず。女が男に随って行き園中で二、三日から七日続けて相たのしみ、事済まば随意に別れ去って相属せず。孕む事七、八日で子を生み、四辻に置けば往来する人々指先から乳を出して飲ませる。七日立つとその子自分の福力もてこの閻浮提洲の二十また二十五歳ばかりに成長する。その世界にちり起らず。樹ありて交わり曲り上で合う、その上に男女各処を異にして住むなどいう事で、「鶏の項」に書いた仏徒が熱望する弥勒世界も、『観弥勒菩薩下生げしょう経』に、時気和適、四時順節、人身百八のうれいなく、貪慾瞋恚愚痴大ならず、人心均平にして皆同一意、相見て歓悦し善言相向い、言辞一類にして差別なき事、かの鬱単越のごとしとあって、活きた人間の住むに鬱単越洲ほどよい天下なしと信じたのだ。八文字屋本はちもんじやぼんなどに吉原遊廓を北洲とづけいるはこの訳で、最も楽しい所の意味だろう

     しかるに、『起世因本経』八には北洲が吾人の住む南洲に勝る事三つ、一には彼人我我所なし、二には寿命最も長し、三には勝上行あり、南洲が北洲に勝る事五つ、一には勇健、二には正念、三には仏出世の地たり、四にはこれ修業の地なり、五には梵行を行する地たりとあって、差し引き吾人の住む天下が、北洲に勝る事多しとした。これは出世間しゅつせけんの宗旨から立てた見解だが、世間法に言い替えても余りに平等ばかりの社会には、奮発とか、立志とか、同情とか、高行とかいう事がなくなり、虫介同様一汎に平凡の者ばかりとなるから、人々ことごとく『楼炭経』にいわゆる自分天禀てんぴんの福力ない以上は、天変地異その他疾病を始め一切自然に打ち勝ちて、社会をも人間をも持続する見込みが立つまい。

    さればこそ経文にも自然の米とか、光りで飯を煮る珠とか、七日続けて交歓するの、四辻に赤子を置かば往来の人が指から乳を含ませくれるの、糞小便は大地、死人は鳥が始末してくれるのと、現世界にまるでない設備を条件として、さて北洲ごとき結構極まる社会が立ち行くと説かれた。科学の進歩無窮なれば全く望まれない事でなかろうが、近頃ようやく出で来た無線電話、飛行船、ラジウム、防腐、消毒、光線分析、エッキス光線くらいを、現代の七不思議として誇る(『ネーチュール』九十巻九一頁)ほどでは前途遼遠で、それで以て平等世界を湧出せんとする者は、護摩を以て治国を受け合い、庚申こうしん像を縛って駈落者かけおちものの足留めしたと心得ると五十歩百歩だ。

     さて前年刑死されたある人が、真正の平等社会が出来たら、利慾がなくなるから精神を有効に使う者がなくなるでないかとの問いに対し、財物をべき利慾はなくなるが知識を進めて公益を謀る念はますます切になる故、一切平等で生活のため後顧せず、安心して発明発見を事とし得ると言ったと聞くが、いくら社会が平等になっても人々の好みと精力が平等にもならず、手品や落し咄なら知らぬ事、耕さずに熟する米や、光で飯を煮る珠、また食っても尽きぬ飯を、生活一切頓著とんじゃくなければとて、将棊しょうぎ同様慰み半分に発明し発見し得るだろうか。

    とにかく仏徒は鬱単越洲うったんのっしゅううらやみ、殊に耕さずに生ずる自然粳米ありと聞いて、それが手に入ったらこんな辛労はせずに済むと百姓どもが吐息ついたので、今も凶年に竹の実をジネンコと称えて採り食らうは自然粳じねんこうの義で、余りうまい物でないそうだからこの世界ではとかく辛労せねば碌な物が口に入らぬと知れる。竹実の事は白井博士の『植物妖異考』上に詳し。

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    「犬に関する伝説」は『十二支考〈下〉』 (岩波文庫)に所収

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