犬に関する伝説(その10)

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     さて仏の命に従い、五百の乞食上りの比丘びくが、北洲に往って、自然成熟の粳米を採り還って満腹賞翫したので、祇陀ぎだ太子大いに驚き、因縁を問うと、仏答えて、過去久遠くおん無量無数不可思議阿僧祇劫あそうぎこうと念の入った長い大昔、波羅奈はらな国に仙山ありて辟支仏びゃくしぶつ二千余人住む。

    時に火星現じた。この星現ずる時ひでりが十二年続いて作物出来ず、国必ず破るという。散檀寧と名づくる長者方へ辟支仏千人供養を求むるに、供養した。次に残りの千人が来るとまた、供養した。それから毎度供養するに五百人をして設備し接待せしめた。年歳を積んでいやになりて来りわれら五百人この乞食どものために苦労すると怨んだ。長者つねに供養の時至るごとに一人をして辟支仏に往き請ぜしめた。

    この使い一狗子いぬい日々伴れて行った。一日使いが忘れて往かず、狗子独り往きて高声に吠え知らせたので諸大士来って食を受け、さて長者に向い最早雨降るべし、早速種植えせよと教えた。長者すなわち作人どもに命じ一切穀類を植えしむると数時間の後ことごとくひょうとなった。長者怪しみ問うと諸大士心配するな出精して水をやれといった。

    水をやり続くると瓢が皆大きくなり盛える。いて見るとき麦粒が満ちいる。長者大悦して倉にれるとあふれ出す。因って親族始め誰彼に分って合国一切恩沢を蒙った。五百人の者どもこれは諸大士のおかげと知って前日の悪言を謝し、来世に聖賢に遇って解脱を得んと願うた。その因縁で五百世中常に乞食となるがその改過と誓願に由って今我に遭うて羅漢となった。

    その時の長者は今の我で、日々使いに立った者は今の須達しゅだつ長者、狗子いぬは吠えて諸大士を請じたから世々音声美わしく今は美音長者と生まれおり、悪言したのを改過した五百人は今この乞食上りの五百羅漢だと説いたとある。いやいやながらも接待係りを勤めたので、今生に北洲の自然粳を採り来て美食に飽き得たというのだ。

    今昔物語』十三巻四十語に、陸奥の僧光勝は『最勝王経』、法蓮は『法花経』を持し優劣を争う余り、各一町の田を作り作物の多寡で勝劣を決せんと定め、郷人より一町ずつの田を借る。光勝自前の田に水入れその経に向いいのるに苗茂る事おびただし。

    法蓮は田を作らず水も入れねば草のみ生じて荒れ果てるから、国人『最勝』をほめ『法花』を軽しむ。七月上旬になりて法蓮の田に瓢一本生じ枝八方にしてあまねく一町に満つ、二、三日経ちて花咲き実成る。皆つぼほど大きくてすきなく並び臥す、一同飛んだ物が出来たとますます『最勝』をむ。法蓮は変な事と一瓢を破り見れば中に粒大きく雪ほど白い精米五斗あり、他を剖いて見るに毎瓢同様なり。

    因って諸人に示し『法花経』に供え諸僧に食せしめ更にその一瓢を光勝に送る。光勝やむをえず『法花経』を軽しめた罪を懺悔さんげす。法蓮その米を国中に施し諸人心のままにない去る。されど十二月まで瓢枯れず取るに随って多くなったから、皆人『法花経』のすぐれるを知って法蓮に帰依きえしたと記す。

    芳賀博士の『攷証今昔物語』に、この譚を『日本法華験記』と『元亨釈書げんこうしゃくしょ』に漢文で載ったのを本語の後に付けあるが、出処も類話も出していない。全く上に引いた『賢愚因縁経』の瓢箪から駒でなくて麦を出した話から転出されたので、瓢から出た穀物を国中に施したなども両譚相似いる。さて『金光明最勝王経』と『妙法蓮華経』の名に因って光勝、法蓮てふ二僧を拵えたのだ。

     『諸経要集』四七に『譬喩経』を引いていわく、長者の門に一狗ありて常に人を噛み誰も入り得ず、聡明な一比丘が往くとちょうどいぬが外に出で臥して知らず、比丘入るを得て食を乞うと長者が食を設けた。狗われ寝た間に比丘を入れたは残念だ。彼れ長者が供えた物を一人食ったら出て来る所を噛み殺して腹中の美膳を食おう、我に食を分ったらゆるそうと思うた。

    比丘犬の心を知って食を分ち与うると、狗喜んで慈心を生じ、比丘に向ってその足をねぶった。のちまた門外に臥すとかつて噛まれた人がその頭をって殺した。それからその長者の子に生まれたが短命で死に、また他の長者の子に生まれて出家したと。仏教は因果輪廻りんねを説き慈愛を貴ぶ故、狗が一時の慈心を起しても得脱の因となるというのだ。

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    「犬に関する伝説」は『十二支考〈下〉』 (岩波文庫)に所収

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