犬に関する伝説(その6)

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犬に関する伝説インデックス


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     さきに昔播磨はりま国で主人を救うた犬のために寺を建てた話を出したが、そののち外国にも同例あるを見出したから述べよう。十四世紀にロクス尊者幼くして信念厚く苦行絶倫で神異なり。十二歳の時父を喪い遺産を挙げて貧人に施し、黒死病大流行に及び、イタリアに入ってローマ等の病院で祈祷また単に手を触るるのみで数千万人を救うたが、因業は聖者も免れ得ぬものでついに自ら黒死病にかかり、ピアチェンズアの町からい出され林中に死に瀕す。その時貴人ゴタルズスの犬日々主家の麪包パンくわえ来ってこれを養い、またその患所をねぶり慰めた。

    主人怪しんで犬の跡を付け行きこの事を見て感心し、種々力を尽してついに尊者を元の身に直した。それから尊者生まれ故郷仏国のモンペリエへ帰り国事探偵と疑われ、一三二七年八月十日牢死した。生前黒死病人この尊者の名を呼べば必ずなおると上帝の免許あったというので、仏・伊・独・白・西・諸国にこれを奉ずる事盛んにその派の坊主多くあり、殊にヴェニスはその葬処とて大寺堂を建てて祀った。その像は巡礼の衣を著しももに黒死病のきずあとを帯び、麪包を啣えた犬を従えたものだ。またその犬の生処という事で、葡領アズルズ島に犬寺が建てられた(『大英百科全書』二三巻四二五頁。『ノーツ・エンド・キーリス』九輯十二巻一八九頁)。

     『淵鑑類函』四三六には、宋の太宗の愛犬、帝朝に坐するごとに必ずまず尾をって吠えて人を静めた。帝病むに及びこの犬食せず、崩ずるに及び号呼涕泗ていしして疲瘠ひせきす。真宗ぎ立て即位式に先導せしむると鳴吠めいはい徘徊して意忍びざるがごとし、先帝の葬式に従えとさとせば悦んで尾を揺るがしもとのごとく飲食す。みことのりして大鉄籠に絹の蒲団を施して載せ行列に参ぜしめ見る者皆落涙す。のち先帝を慕うの余り死んだので、詔して敝蓋へいがいを以てその陵側に葬ったとあり。

    また、孫中舎という者青州城に囲まれ内外隔絶、挙族愁歎した時、その犬の背に布嚢と書簡を付け水門を潜らせ出すと、犬その別墅べっしょに至り吠ゆる声を聞きて留守番が書簡を取り読み米を負うて還らしむ。数月かくし続けて主人一族を餓えざらしめた。数年後たおれて別墅の南に葬られ、中舎の孫が石を刻してその墓を表わし霊犬誌といったとある。

     インドのマラバル海岸のクイーロン港口の築地に石碑あり。ゴルドン大佐てふ英人この辺の湖で泳ぎいると犬吠えてやまず。気を付けて視ると、湖の底に大きな物がしずかに自分の方へ近づき来り、その水上に小波さざなみ立つ。さては※(「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1-94-55)わにの襲来と悟ると同時に犬水中に飛び入り食われて死んだ。いくら吠えても主人が悟らぬ故自ら身代りに立ったと知り、哀悼の余りこの碑を立てた。この大佐は一八三四年ボンベイで死んだとあるから余り古い事でない。

    またデルフトに、蘭王ウィルヘルム一世の碑ありてその愛犬像を碑下に置く。これは一五七二年スペインより刺客来て天幕中に臥した王を殺しに掛かった時、その蒲団を咬み裂き吠えて変を告げ、難に及ばしめなんだ大功あるものと伝えられる(『ノーツ・エンド・キーリス』十一輯四巻四九頁、同三巻四一頁)。

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    「犬に関する伝説」は『十二支考〈下〉』 (岩波文庫)に所収

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