犬に関する伝説(その13)

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     さきに出した『今昔物語』の瓢箪から麦米を出した譚は、もと仏徒が『最勝王経』と『法華経』の効力くりきを争うたから起ったものだ。聖武帝の天平十三年正月天下諸国にみことのりして七重塔一区ずつを造り、並びに『金光明最勝王経』と『妙法蓮華経』各十部を写させ、天皇また別に『金光明最勝王経』を写し毎塔各一部を置かしめ、また毎国金光明四天王護国寺に二十僧、法華滅罪の寺に十尼を置き、その僧尼毎月八日必ず『最勝王経』を転読して月半に至らしむとあって、その詔の発端には風雨順序し五穀豊穣なるべきため祷った由見える(『続日本紀』十四)。しかるに当時最勝を宮中法事の第一とし、天平九年冬十月最勝会を大極殿にひらく、その儀元日に同じというほどで(『元亨釈書』二の「釈道慈伝」)、二経の内『最勝王経』を特に朝家が尊んだので、『法華経』凝りの徒がこれに抗して瓢より米が出た話を作って、かの経が『最勝王経』に勝ると張強したのだ。

     犬の笑譚は、諸国にあるが今その二、三を挙げる。元和げんな九年安楽庵策伝あんらくあんさくでん筆でわが邦落語の鼻祖といわるる『醒睡笑』巻一に「人い犬のある処へは何とも行かれぬと語るに、さる事あり虎という字を手の内に書いて見すれば啖わぬと教ゆるのち犬を見虎という字を書き済まし手を拡げ見せけるが、何の詮もなくぼかと啖いたり、悲しく思いある僧に語りければ、推したり、その犬は一円文盲にあったものよ」と。

    『嬉遊笑覧』八に、このじゅ、もと漢土の法なり。『博物類纂』十に、悪犬に遇わば左手を以てとらより起し、一口気を吹きめぐっていぬに至ってこれを※(「てへん+稻のつくり」、第4水準2-13-40)つかめば犬すなわち退き伏すと。了意の『東海道名所記』に「大きなる赤犬かけ出てすきまなく吠えかかる云々、楽阿弥も魂を失うてにわかに虎という字を書いて見すれども田舎育ちの犬なりければ読めざりけん、逃ぐる足許へ飛び付く」とある。

    幸田博士の『狂言全集』下なる大蔵おおくら流『犬山伏』の狂言に、茶屋の亭主が、山伏と出家の争論を仲裁して人食い犬を祈らせ、犬がなついた方を勝ちと定めようというと、出家は愚僧劣るに必定ひつじょうと困却する。亭主ひそかに、あの犬の名は虎だから虎とさえ呼ばば懐き来る、何ぞ虎という語の入った経文を唱えたまえとおしえる。

    因ってその僧が南無なむきゃらたんのうとらやあ/\と唱えるや否や犬出家にれ近づく。山伏祈れば犬吠えかかり咬み付かんとする故山伏の負けと決する。犬より強い虎の字を書いて犬を制し得るという中国説が、本邦に入って、犬の名の虎に通う音の入った経文を唱えてその犬を懐柔する趣に変ったのだ。

    前年『郷土研究』一巻八号に出し置いた通り、田辺近き上芳養村の人に聞いたは、吠えかかる犬を制止するには、その犬に向うて亥戌酉申より丑子まで十二支を逆さに三度繰り返すべしと。また一法は、戌亥子丑寅と五支の名を唱えつつ五指を折り固むるのだと。ただしその法幾度行うても寸効なかったと自白した。上に孫引きした『博物類纂』の支那方あたりから転出したと見える。

     『続古事談』二に、古え狐を神とした社辺で狐を射た者あり、その罪の有無を諸卿が議した中に、大納言経信つねのぶ卿は、白竜の魚、勢い預諸よしょの密網に懸るとばかり言えりといったので、その人無罪になったとある。

    これは春秋の時呉王が人民とまざって飲もうとするを伍子胥ごししょいさめて、昔白竜清冷の淵に下り化して魚となったのを予且よしょという漁者がその日に射てた、白竜天に上って訴えると、天帝その時汝は何の形をしていたかと問うた、白竜自分は魚の形をしていたというを聞いて、魚はもとより人の射るべきものだから予且に罪なしと判じた。魚の形をせなんだら予且に白竜は射られぬはず、今王も万乗の位を棄て布衣ほいの士と酒を飲まば、臣その予且のうれいあらんを恐るといったので王すなわちやめた(『説苑』九)という故事を引いたのだ。されば平安朝に、神通自在の天狗がとびに化けて小児に縛り打たれた話あり(『十訓抄じっきんしょう』一)。

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    「犬に関する伝説」は『十二支考〈下〉』 (岩波文庫)に所収

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