羊に関する民俗と伝説(その5)

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     『説苑』七に楊朱(ようしゅ)が梁王に見(まみ)えて、天下を治むる事諸(これ)を掌(たなごころ)に運(めぐ)らすごとくすべしという。梁王曰く、先生、一妻一妾ありて治むる能わず、三畝の園すら芸(くさき)る能わざるに、さように容易(たやす)く天下を治め得んやと。

    楊朱曰く、君かの羊を見ずや、百羊にして群るれば五尺の童子一人杖を荷(にの)うてこれを東西思いのままに追い得るがごとし、堯をして一羊を牽(ひ)き舜をして杖を荷うてこれを追わしめば、なかなか思いのままにならぬ、すなわち乱の始めだ。大を治めんとする者は小を治めず、大功を成す者は小苛(しょうか)せずと。

     末吉安恭氏来示に、琉球人は山羊を温柔な獣とせず、執拗剛戻(ごうれい)な物とす。縄にて牽き行く時その歩を止めて行かぬ事あり、その時縄を後に牽かば前に出づるも前に牽かば退くのみなり、故に山羊は天(あま)の邪鬼(じゃく)だというと、これは足の構造に基づくはもちろんながら、山羊、綿羊共に決して一汎(いっぱん)にいわるるほど柔順でなく卞彬(べんぴん)は羊性淫にして很(もと)るといった。很は〈従い聴かざるなり、また難を行うなり〉とある、それを一疋ずつ扱わで一群として扱う事の易(やす)きは誠に楊朱の言のごとし。

    予欧州にあった日、大高名の学者と伴(つ)れて停車場へ急ぐ途中種々の事を問い試むるにその返答は実に詰まらぬものばかりだった。われも人も肩を軋(きし)って後れじと専念する際にはいかな碩儒(せきじゅ)も自分特有の勘弁も何も出ないのだ。されば人間も羊同然箇人としてよりは群集としての方が扱いやすいかも知れぬ。

     『孔子家語(けご)』や『説苑』に季桓子(きかんし)井を穿(うが)ちて土缶(つちつぼ)を得、中に羊あり、土中から狗(いぬ)を得たといって孔子に問うと、孔子はさすが博識で、われ聞くところでは狗ではなくて羊だろう、木の怪は※(「(止+(首/儿)+巳)/夂」、第4水準2-5-28)罔両きもうりょう、水の怪は龍罔象、土の怪は※羊(ふんよう)[#「羚」の「令」に代えて「賁」、16-5]というからきっと羊で狗であるまいと対(こた)えたから桓子感服したとある。

    『韓詩外伝』には魯哀公井を穿たしむるに一生羊を得、公祝をしてこれを鼓舞して上天せしめんとしたが羊上天し能わず、孔子見て曰く水の精は玉、土の精は羊となる、この羊の肝は土だと、公それを殺して肝を視(み)れば土であったと出づというが、予の蔵本には見えぬ。

    虚譚のようだが全く所拠(よりどころ)なきにあらず、『旧唐書(くとうじょ)』に払菻国(ふつりんこく)に羊羔(ひつじのこ)ありて土中に生ず、その国人その萌芽(ほうが)を伺い垣を環(めぐ)らして外獣に食われぬ防ぎとす。しかるにその臍地に連なりこれを割(さ)けば死す、ただ人馬を走らせこれを駭(おどろ)かせば羔驚き鳴きて臍地と絶ちて水草を追い、一、二百疋の群を成すと出づ。

    これは支那で羔子(カオツェ)と俗称し、韃靼(だったん)の植物羔(ヴェジテーブル・ラム)とて昔欧州で珍重された奇薬で、地中に羊児自然と生じおり、狼好んでこれを食うに傷つけば血を出すなど言った。

    古今要覧稿』に引いた『西使記』に、※(「土へん+龍」、第3水準1-15-69)ろう種の羊西海に出(い)づ、羊の臍を以て土中に種(う)え、漑(そそ)ぐに水を以てす、雷を聞きて臍系生ず、系地と連なる、長ずるに及び驚かすに木声を以てすれば、臍すなわち断ち、すなわち能く行き草を噛む、秋に至り食すべし、臍内また種あり〉というに至りては、真にお臍で茶を沸かす底の法螺談(ほらばなし)で、『淵穎集』に西域で羊の脛骨を土に種(う)えると雷鳴に驚いて羊子が骨中より出るところを、馬を走らせ驚かせば臍緒を断ちて一疋前の羊になるとあるはますます出でていよいよ可笑(おか)し。

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    「羊に関する民俗と伝説」は『十二支考〈下〉』 (岩波文庫)に所収

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