(その3)
皆人の熟知する通り『孟子』に羊と牛とが死を怖るる表出の程度についての議論がある。馬琴の『烹雑記(にまぜのき)』の大意にいわく、牛の性はその死を聞く時は太(いた)く怖る。また羊の性はその死を聞きても敢(あ)えて怖れぬという宋の王逵が明文あり。
『蠡海集(れいかいしゅう)』にいう。牛と羊と共に丑未の位におれり、牛の色は蒼(あお)く、雑色ありといえども蒼が多し、春陽の生気に近きが故に死を聞く時はすなわち
これけだし生殺の気しかるを致せり、この説『孟子』の一章を註すべし。『孟子』の梁恵王篇に斉宣王羊をもて牛に
ただいう〈牛を見ていまだ羊を見ざるなり、君子の禽獣におけるや、その生を見ればその死を見るに忍びず、その声を聞けばその肉を食うに忍びず、ここを以て君子は庖厨を遠ざくなり〉。これ仁者の言、いわゆるその君をして堯舜になす者なり、嗚呼(おこ)なる所為なれど童蒙のために註しつ(以上馬琴の説)。
志村知孝これを駁(ばく)して曰く、この説童蒙のために注しつといえど奇を好める説なり、いわゆる宣王の〈羊を以て牛に易う〉といいしは孟子のいわゆる〈小を以て大に易え、牛を見て羊を見ず〉といえる意にして、牛の性は死を聞いて太(いた)く怖るるがために殺すに忍びず、羊の性は死を聞いて懼れざるものなれば牛に易えよといいしにはあるべからず。
〈王もしその罪なくして死地に就くを隠(いた)まばすなわち牛羊何ぞ択ばん〉といえるにてその意明らけし。宣王もし牛は死を恐れ、羊は死を喜ぶ故に易えよと言われしならば、その由を説かるべきにその説なきをかく言わば童蒙をしてかえって迷いを生ぜしむべきにやと(『古今要覧稿』五三一巻末)。
仏経に人間が無常を眼前に控えながら何とも思わぬを、牛が朋輩の殺さるるを見ながら平気で遊戯するに比しあれど、ロメーンズの『動物智慧編(アニマル・インテリゼンス)』に牛が屠場に入りて、他の牛の殺され剥(は)がるる次第を目撃し、仔細を理解して恐懼(きょうく)し、同感する状(さま)著しく、ほとんど人と異ならざる心性あるを示す由を記し、ただし牛に随って感じに多少鋭鈍の差があると注した。
予在外中しばしば屠場近く住み、多くの牛が一列に歩んで殺されに往くとて交互哀鳴するを窓下に見聞して、転(うた)た惨傷(さんしょう)に勝(た)えなんだ。また山羊は知らず、綿羊が殺され割(さ)かるるを毎度見たが、一声を発せず、さしたる顛倒騒ぎもせず、こんな静かな往生はないと感じた。
『経律異相(きょうりついそう)』四九に羊鳴地獄の受罪衆生は、苦痛身を切り声を挙げんとしても舌能(よ)く転ぜず、直ちに羊鳴のごとしと見え、ラッツェルの『人類史』にアフリカのズールー人新たに巫(ふ)となる者、牛や山羊その他諸獣を殺せど、綿羊は殺されても叫ばぬ故、殺さぬと出(い)づ。
かく攷(かんが)えるとどうも馬琴の説が当り居るようだ。すなわち斉の宣王が堂上に坐すと牛を率(ひ)いて過ぐる者あり。王問うてその鐘に血を塗るため殺されに之(ゆ)くを知り、これを舎(ゆる)せ、われその罪なくして慄(おのの)きながら死地に就くに忍びずと言う。牛を牽く者、しからば鐘に血を塗るを廃しましょうかと問うと、それは廃すべからず、羊を以て牛に易えよと言った。
王実は牛が太(いた)く死を懼れ羊は殺さるるも鳴かぬ故、小の虫を殺して大の虫を活(い)かせてふ意でかく言ったのだが、国人は皆王が高価な牛を悋(おし)んで、廉価の羊と易えよと言ったと噂した。それについて孟子が種々と王を追窮したので、売詞(うりことば)に買詞(かいことば)、王も種々弁疏(べんそ)し牛は死を恐れ、羊は鳴かずに殺さるる由を説くべく気付かなかったのだ。
さて孟子は王のために〈牛を見ていまだ羊を見ざるなり〉云々と弁護するに及び、王悦んで、〈詩にいわく他人心あり、予これを忖度(そんたく)す〉とは夫子(ふうし)の謂(いい)なり、我は自分で行(や)っておきながら、何の訳とも分らなんだに夫子よくこれを言い中(あ)てたと讃(ほ)めたので、食肉を常習とする支那で羊は牛ほど死を懼れぬ位の事は人々幼時より余りに知り切りいて、かえってその由の即答が王の心に泛(うか)み出なんだのだ。
この鐘に血塗るという事昔は支那で畜類のみか、時としては人をも牲殺してその血を新たに鋳た鐘に塗り、殺された者の魂が留まり著いて大きに鳴るように挙行されたのだ。その証拠は『説苑(ぜいえん)』十二に秦と楚と軍(いくさ)せんとした時、秦王人を楚に遣(つか)わす、楚王人をしてこれに汝(なんじ)来る前に卜(うらな)いしかと問わしむると、いかにも卜うたが吉とあったと答えた。楚人その卜いは大間違いだ、楚王は汝を殺して鐘に血塗らんとするに何の吉もないものだと威(おど)した。
秦の使者曰く、軍が始まりそうだからわが王我をして様子を窺(うかが)わしむるに、我殺されて還(かえ)らずば、わが王さてはいよいよ戦争と警戒準備怠らぬはずだからわがいわゆる吉だ。そのうえ死者もし知る事なくんばその血を鐘に塗りて何の益あろうか、万一死者にして知るあらばわれは敵を相(たす)くるはずがない。楚の鐘鼓をして声を出さざらしめんに楚の士卒を整え軍立(いくさだて)をする事がなるまい。それ人の使を殺し人の謀(はかりごと)を絶つは古の通議にあらざるなり。子大夫試みにこれを熟計せよと強く出たので、楚王これを赦(ゆる)し還らせたとある。