羊に関する民俗と伝説(その4)

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     このついでにいう、『日本霊異記』や『本朝文粋』に景戒きょうかい※(「大/周」、第3水準1-15-73)ちょうねんが自ら羊僧と名のった由見ゆ。『塵添※(「土へん+蓋」、第3水準1-15-65)嚢鈔じんてんあいのうしょう』十三に羊僧とは口に法を説かざるをいう

    羊は卑しき獣とす、獣中に羊のごとく僧中に卑しという心なりとあるは牽強で、『古今要覧稿』五三〇には、〈『仏説大方広十輪経』いわく犯不犯、軽重を知らず、微細罪懺悔すべきを知らず、愚痴無智にして善智識に近からず、深義のこれ善なるか善にあらざるか諮問する能わず、かくのごとき等の相、まさに唖羊僧(あようそう)たるべし〉とあって、羊僧は唖羊僧の略とまでは判るが、何故かかる僧を唖羊僧というかが知れぬ。

    熊楠、『大智度論』巻三を見るに僧を羞僧、無羞僧、唖羊僧、実僧の四種に分つ。破戒せずといえども〈鈍根無慧、好醜を別たず、軽重を知らず、有罪無罪を知らず、もし僧事あるに、二人ともに諍(あらそ)うに断決する能わず、黙然として言なく〉、譬(たと)えば、白羊、人の殺すに至っても声を作(な)す能わざるがごとし、これを唖羊僧と名づくとある。これで羊僧てふ語も綿羊が声立てずに殺さるるに基づくと知った。泰西の十二宮のうち牡綿羊宮(アリエス)を古く白羊宮と漢訳しあるので白羊とは綿羊と判る。

     西アフリカのアシャンチー人伝うるは、昔上帝人間(にんかん)に住み面(まのあた)り談(はな)したから人々幸福だった。例せば小児が薯蕷(やまいも)を焼くとき共に食うべき肴(さかな)を望まば、上帝われに魚を与えよと唱えて棒を空中に抛(ほう)ればたちまち魚を下さった。

    しかるに世間はかく安楽でいつまでも続かず、一日婦女どもが食物を摺(す)り調える処へ上帝来り立ち留まって観(み)るを五月蠅(うるさ)がり、あっちへ行けといえど去らず、婦女ども怒って擂木(すりこぎ)で上帝を打ったから、上帝倉皇天に登り復(また)と地上へ降(くだ)らず、世は永く精物(フィチシュ)に司配さる。因って今も人々戻らぬ昔を追懐して、あの時婆どもが上帝を打たなんだらどんなにわれわれは幸福だろうと嘆息する。

    ただし上帝は随分人思いの親切者で天に引き上げた後(のち)山羊を降して告げしめたは、これから死というもの来て汝らを取り殺すが汝ら全く亡くなるでなく天に来りてわれとともに住むのだと。山羊この報を持って町へ来る途上好(よ)き草を見て食いに掛かる。

    上帝これを見て綿羊を遣わし、前同様に人に告げしめたところ、綿羊誤って上帝の御意に汝ら死なばそれ切りとあると告げた。跡へ来った山羊が上帝の御意に汝ら死するに決まって居るが、それ切り亡くなるでない、天へ上って上帝近く住むはずとあると告げた。その時人々山羊に対(むか)い、それは神勅でない、綿羊の伝命が上帝の御意と信ずると述べたから、人間が死亡し始めたそうだ。

    同じアシャンチー人の中にも異説ありて最初不死の報を承ったは綿羊だが、途上で道草を食う間に山羊がまず人間に死の命を伝え、それを何事とも知らず無性に嬉(うれ)しがって御受けした此方(このかた)人は皆死ぬという由(ベレゴーの『シェー・レー・アシャンチー』一九〇六年板一九八頁)。

     『太平記』に唇亡びて歯また寒くは分って居るが、その次に魯酒薄うして邯鄲(かんたん)囲まる、これには念の入った訳がある。楚の宣王諸侯を朝会した時、魯の恭公後(おく)れ至り進上した酒が薄かったから宣王怒った。恭公我は周公の胤(いん)にして勳王室にあり、楚ごとき劣等の諸侯に酒を送るさえ礼に叶(かな)わぬに、その薄きを責むるも甚だしと憤って辞せずに還った。

    宣王すなわち斉とともに魯を攻めた。梁の恵王常に趙を撃たんとしたが楚を畏れて手控えいた、今楚が魯を事として他を顧みる暇(いとま)なきに乗じ兵を発して趙の都邯鄲を囲んだというので、セルヴィアの狂漢が奮うて日本に成金が輩出したごとく、事と事が間接に相因るを意味す。

    インドにも右様の譬えがある。『雑宝蔵経』八に下女が麦と豆を与(あずか)り居ると、主人の家の牡羊が毎度盗み食い減らすから主人に疑わるるを憤り、羊を見る度(たび)杖で打ち懲らす。羊も下女を悪(にく)みその都度觝触(つきかか)る。

    一日下女が火を取りおり、杖を持たぬを見て羊直ちに来り襲う。下女詮方(せんかた)なさにその火を羊の脊に置くと羊熱くなりて狂い廻り、村に火を付け人多く殺し山へ延焼して山中の猴(さる)五百疋ことごとく死んだ。諸天これを見て偈(げ)を説いていわく、〈瞋恚(しんい)闘諍間、中において止むるべからず、羝羊(ていよう)婢とともに闘い、村人※(「けものへん+彌」、第3水準1-87-82)びこう死す〉と。『菩薩本行経』には、一婦人※(「麩」の「夫」に代えて「少」、第4水準2-94-55)こがしを作る処へ羊来り盗むを、火をく杖に火の著いたまま取り上げて打つと羊毛に燃え付いた。そのまま羊が象べやに身をり付くると、いよいよ火事となりて象も猴も焼け死んだとある。象厩に猴をえば象を息災にすとシャムでも信ずる由、クローフォールドの『暹羅シャム使記』に見ゆ。

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    「羊に関する民俗と伝説」は『十二支考〈下〉』 (岩波文庫)に所収

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