羊に関する民俗と伝説(その2)

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羊に関する民俗と伝説インデックス

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     英国の俚諺(りげん)に、三月は獅子のように来り、子羊のごとく去るというは、初め厳しく冷ゆるが、末には温かになるを指(さ)す。しかるに国に随(よ)っては、ちょうどわが邦(くに)上方(かみがた)で奈良の水取(みずとり)といって春の初めにかえって冷ゆるごとく、暖気一たび到ってまた急に寒くなる事あり。仏国の東南部でこれを老女(ばば)の次団太(じだんだ)と呼ぶ。

    俗伝に二月の終り三日と、三月の始め三日はほとんど毎年必ず寒気が復(かえ)って烈(はげ)しい。その訳は昔老婆あって綿羊を飼う。二月の末殊(こと)に温かなるに遇(あ)い「二月よさようなら、汝は霜もてわが羊を殺し能(あた)わなんだ」と嘲(あざけ)った。

    二月、怒るまい事か三月から初め三日を借り、自分に残った末の三日と併(あわ)せて六日間強く霜を降らせてことごとくその綿羊を殺し、老女をして次団太踏ましめた。

    仕方がないから牝牛を買って三月末三日を余すまで無事に飼ったが、前にも懲りず三月も済んだから畏(おそ)るるに足らぬと嘲った。三月、また怒って四月からその初め四日を借り、自分の終り三日と合せて一週間の大霜を降らせ草を枯らししまったので、老女また牝牛を亡くしたそうだ。

     スペインでも三月末の数日は風雨太(いた)く起るが恒(つね)だ。伝えて言う、かつて牧羊夫が三月に三月中天気を善くしてくれたら子羊一疋進ぜようと誓うた。かくて気候至って穏やかに、三日経(た)たば四月になるという時、三月、牧羊夫に子羊を求むると、たちまち吝(しわ)くなって与えず。

    三月怒って羊は三月末より四月初めへ掛けて子を生む大切の時節と気が付かぬかと言い放ち、自分の終り三日と、四月より借り入れた三日と、六日の間寒風大雨を起して、すべての羊もちょうど生まれた羊児も鏖(みなごろ)しにしたと。

     一九〇三年板アボットの『マセドニア民俗記』に言う。カヴァラ町の東の浜を少し離れて色殊に白き処あり、黄を帯びた細い砂で、もと塩池の底だったが、日光に水を乾(ほ)し尽されてかくなったらしい。

    昔美なる白綿羊を多く持った牧夫あり、何か仔細(しさい)あってその羊一疋を神に牲(にえ)すべしと誓いながら然(しか)せず、神これを嗔(いか)って大波を起し牧夫も羊も捲(ま)き込んでしまった。爾来(じらい)そこ常に白く、かの羊群は羊毛様の白き小波と化(な)って今も現わる。羊波(プロパタ)と名づくと。

    これに限らず曠野に無数の羊が草を食いながら起伏進退するを遠望すると、糞蛆の群行するにも似れば、それよりも一層よく海上の白波に似居る。近頃何とかいう外人が海を洋というたり、水盛んなる貌を洋々といったりする洋の字は、件(くだん)の理由で羊と水の二字より合成さると釈(と)いたはもっともらしく聞える。

    しかし王荊公が波はすなわち水の皮と牽強(こじつけ)た時、東坡がしからば滑とは水の骨でござるかと遣(や)り込めた例もあれば、字説毎(つね)に輒(たやす)く信ずべきにあらずだ

     『春秋繁露(しゅんじゅうはんろ)』におよそ卿に贄(にえ)とるに羔(こひつじ)を用ゆ。羔、角あれども用いず、仁を好む者のごとし。これを執(とら)うれども鳴かず、これを殺せども号(さけ)ばず、義に死する者に類す。羔、その母の乳を飲むに必ず跪(ひざまず)く。礼を知る者に類す。故に羊の言たるなお祥のごとし。故に以て贄となすとあるなども本来を誤った説で、羊が生来吉祥の獣たるにあらず、もと羊を神に供えて善悪の兆を窺うたから祥の一字を羊示の二つから合成したのである。

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    「羊に関する民俗と伝説」は『十二支考〈下〉』 (岩波文庫)に所収

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