佐藤成裕(さとう せいゆう)
佐藤成裕(1762年〜1848年)。
勝成裕(かつ せいゆう)とも。江戸時代後期の本草学者。号は中陵・温故斎・菁莪堂。
薩摩・米沢・会津・備中松山の各藩に招かれ,各藩内の産物調査に従事。寛政12年(1800年)以後は水戸藩に仕えたという。
著書は『薩州産物録』『採薬録』『金薯録』『飼籠鳥』など多数。随筆の『中陵漫録』や、シイタケ栽培の最古の専門書である『温故斎五瑞篇』がよく知られている。
佐藤成裕(1762年〜1848年)。
勝成裕(かつ せいゆう)とも。江戸時代後期の本草学者。号は中陵・温故斎・菁莪堂。
薩摩・米沢・会津・備中松山の各藩に招かれ,各藩内の産物調査に従事。寛政12年(1800年)以後は水戸藩に仕えたという。
著書は『薩州産物録』『採薬録』『金薯録』『飼籠鳥』など多数。随筆の『中陵漫録』や、シイタケ栽培の最古の専門書である『温故斎五瑞篇』がよく知られている。
南方熊楠の随筆:河童に就いて(現代語訳)
この頃、勝成裕の中陵漫録を読むと「薩州の農家では、カワウソを殺せば、馬に祟りをなす。祟ること7代にしてようやく止むと言う。大いに恐れてあえて殺す者はいない云々」とある。予はかつてカワウソを飼っているのを見たが,すこぶる悪戯好きな者なので、時に厩舎に入って家畜を悩ますのを河童と心得るようになったことで、少なくとも満呂村の一例はカワウソの行為であること疑いなしと思う。
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