平沢哲雄

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  • 平沢哲雄(ひらさわ てつお)

    平沢哲雄。哲学者。
    大正11年(1922年)、平沢哲雄は、南方植物研究所の設立資金を集めるため上京中だった南方熊楠(1867~1941)を、当時学生だった平野威馬雄に会わせました。
    平野威馬雄は、足の不自由な熊楠のために日比谷公園の空濠で新種の粘菌の採集を手伝い、のちに『博物学者─南方熊楠の生涯』『くまくす外伝』を著しました。



    平沢哲雄

    南方熊楠の手紙:浄愛と不浄愛,粘菌の生態,幻像,その他(現代語訳15)
    山田の従兄も御坊町へ帰るのに付いて羽山の別荘で琴やら裁縫やら歌俳諧に茶湯やら英仏語やらを教えて、故平沢哲雄氏の遺児を守っている吉村勢子女史へいい送る、

         妹尾に山居せし折、逗子海岸なる吉村勢子よりそこの景気はいかにと問ひおこせたりければよめる     南方熊楠

      わが庵は奥山つづき谷深くのきばに太きつらら(氷柱)をぞみる

    平沢哲雄氏は、タゴールを連れて来朝させた三土忠造君の弟。もと和歌山県知事、今は衆議院議員と記憶する宮脇梅吉氏の妻の弟。この人は米国へ8歳のとき渡り、まるで欧米人のようである。『大菩薩峠』の駒井甚三郎そのままで、まことにおとなしい人である。

    震災のとき、永井荷風方へ逃げのび、それから小生に頼みに来て、本山氏に会い、『大毎』派出員か何かの名義でパレスチナ、パリなどに遊び、帰ってまもなくチプスになり、自由結婚の妻の腹に鮒を盛り込んだまま置き去りにして冥途へ旅立たれました。この人特製の法螺の音が太い。

    平沢氏の説のひとつというのは、その人と知らずにかたわらに行って特異の霊感に打たれた人は一生に2人、ひとりはポーランドの初代大統領パデレウスキー、いまひとりは熊楠とのこと。この人の世話で小生は岩崎家から研究費1万円もらった)


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