"南方マンダラ",「不思議」について,その他(現代語訳26)

"南方マンダラ",「不思議」について,その他(現代語訳)

  • 1 姪のこと
  • 2 イタリアの信神者の話
  • 3 英国紳士
  • 4 礼式
  • 5 聞きたがり
  • 6 春画のことなど
  • 7 人を避けるための春画
  • 8 春画の効能
  • 9 田辺に大福長者
  • 10 チバルリー(騎士道)
  • 11 高子
  • 12 愛子
  • 13 飲酒
  • 14 小乗仏教
  • 15 大乗仏教は望みあり
  • 16 時に応じ機に応じ
  • 17 禅批判
  • 18 真言と禅
  • 19 真言宗は今の世に
  • 20 科学教育
  • 21 不思議
  • 22 萃点
  • 23 tact
  • 24 発明というのは
  • 25 夢のお告げ
  • 26 真言徒がなすべきこと
  • 27 科学
  • 28 科学の他に道はない
  • 29 念仏宗
  • 30 科学は真言の一部古伝の功
  • 31 古伝の功
  • 32 科学教育をすすめよ
  • 33 自然の理
  • 34 人間の想像の区域
  • 35 二仏三仏

  • 真言徒がなすべきこと

     さて、今もしこの人間世界だけでもよい、それから一切物体界を実在と見ずに、数量の用を全く知らないとして、この人間世界を見るとせよ。そのようなときは心界が実在となって、tact が大方便、唯一の方法となる。このようなときにおいては、あたかも物理を応用して、マルコニの無線電信、またX光線からつてを引いて、ラジウムというみずからX光線を出す元素を見つけ出したように、種々雑多の(数量で測ることができないから名づけることができないが、種々の別性〔別は数に関することではない〕の)心性を見つけ出すだろう。

    これを応用することができれば、呪詛,調伏、その他今日名もなき心性作用の大所作、大工事が間違いなくできる(ここで一言っておくのは、呪詛、まじないなどの道理および応用も、科学外のものではないと知れ。理外の理ではない。物理または今日の心理外の理である)。

     さて少々数量を知り、用いることができれば不十分ながら在来の小屋を立て箱を作ることができたように、tact にあたることが多いときは、それほどのことがなくとも、心性作用を利用して(多少)公益私用のことがあったことは、疑いない。

    ゆえに予は、真言で古え行なったまじない、祈祷、神通力、呪詛、調伏などは、決して円了などがいうような効果のない、すべて法螺ばかりのものとは思わない。このことは近頃、科学者の間でもはなはだやかましくなった。

    我が国のことは少しも新聞を見ないから知らない。そのことに法螺が多いことは、小生も十分に認める。しかしながら、詐欺が多いのでといって、そのことが無根であるとはいわない。これだけでなく、今日有名な機械場で作った器械などに、完全に役に立つものははなはだ少ない。しかしながら用事の性質と効験の気受けがちがうから、それほど科学を法螺とも無用とも詐欺ともいわないだけである。

    要は予は、今日、狂人、気鬱が進んで世をつまらないものと思い込んでいる者、女を思い込んだ者、学説、議論を堅持するあまり変性した男などを治療するのに、ブロムカリ(※臭化カリウム、鎮静剤として使われる※)とかなんとかの物料を用いるが、塔の傾いているのを直そうとして説法し、鳥が飛ぶのを落とそうとして印を結ぶのとこれとちょうど同理、同程度のことだが、それらよりももっとつまらないことではないか、と呆れるものである。

    (これより☆印の本文から続く)やはりそうならば、今日の世はすでにその調伏、呪詛などのことは行なわれない世となってしまった。また、行なわれるとしても、今日の社会と個人に釣り合うほどのものにはなれないだろう。これをなそうとするならば、その研究を必要とする。またその実験を必要とする。すなわち科学上の効果を見る。

     仁者は、予を欧州科学、云々という。予は欧州のことだけを基として科学を説くものではない。なぜかというと、欧州は五大陸のひとつで、科学はこの世界の外に、はみ出ている。もし欧州科学に対する東洋科学というものがあるならば、これを研究してもよい。科学といっても、じつは予からすれば真言のわずかな一部に過ぎない。ただその一部の相を順序づけて整理し、人間社会を便利にすることをいうのに過ぎないのだ。

    仁者はただ科学を、仏法の本際を知るための一段階とする。何ぞそれ然らん。今日の真言徒の重要な第一の急事は、世間に広く役立ち、衆生の現世の肉身を安楽にさせること、次いでその心性を安楽にさせること、宇宙が無尽無窮であることを知らしめること、その広大無辺を嘆美させること、法相真如(※世界の真実の姿※)、実際において楽の種が尽きないことを知らしめること。

    そうして最大に必要なのは、これらの諸大事が相衝突すること、今日の平日は極楽が手に入ったようなことをいいながら、ひとたび病いになれば叫喚して、あるいは医者を嘲り巫者について、あるいは巫者を卑しんで医者を招くなどの矛盾がないように決意することにある。

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    「"南方マンダラ",「不思議」について,その他」は『南方熊楠・土宜法竜往復書簡』『南方熊楠コレクション〈第1巻〉南方マンダラ』 (河出文庫)に所収。

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