"南方マンダラ",「不思議」について,その他(口語訳5)


"南方マンダラ",「不思議」について,その他(口語訳)

  • 1 姪のこと
  • 2 イタリアの信神者の話
  • 3 英国紳士
  • 4 礼式
  • 5 聞きたがり
  • 6 春画のことなど
  • 7 人を避けるための春画
  • 8 春画の効能
  • 9 田辺に大福長者
  • 10 チバルリー(騎士道)
  • 11 高子
  • 12 愛子
  • 13 飲酒
  • 14 小乗仏教
  • 15 大乗仏教は望みあり
  • 16 時に応じ機に応じ
  • 17 禅批判
  • 18 真言と禅
  • 19 真言宗は今の世に
  • 20 科学教育
  • 21 不思議
  • 22 萃点
  • 23 tact
  • 24 発明というのは
  • 25 夢のお告げ
  • 26 真言徒がなすべきこと
  • 27 科学
  • 28 科学の他に道はない
  • 29 念仏宗
  • 30 科学は真言の一部古伝の功
  • 31 古伝の功
  • 32 科学教育をすすめよ
  • 33 自然の理
  • 34 人間の想像の区域
  • 35 二仏三仏

  • 聞きたがり

     それなのに我が国の今の人は、交友親族の間でも、今こんなことを言ったのは本当かと聞き返すなどというのは、じつにおかしい悪事で道徳に背く国風といわざるを得ない。何でもない日常の会話でさえ人に正直を強要することは、なにか憲兵が国事犯関係者でも取り調べするように思える。

    我らがこの輩に聞きたいのは、意識せずに正直でない言葉を吐く者と、何の理由もないのに、そこで会った人などに、さして自分の大事でもないことまでも、これはあれはといちいち聞いて問う者と、その罪はどちらが重いのか。

    英国などでは、インキジチヴネス(inquisitiveness)といって、それが小児などの第一として人にものをあれはこれはと聞くことを不礼と叱ることにあるのだ(西洋に疑いは学問の最要素。むちゃくちゃに古人などを信じるのは学問を阻むといい、我が国にも、知らなければ知るまで置かないというのは、これらとまったく異なり、第一にみずから疑いを発しみずからはっきりするまで研究せよということである。むちゃくちゃに人に問いてまわれというのではない。否、人にものを問うことのみを学問と心得る者は、自分の心をすっかり失った胸中無主人の者である。受け売りの本家である。学問をすべき人間ではない)。問われる者の迷惑さを察してもみよ。

     田辺は亡中井芳楠氏は少し長く住んでいた地なので、帰国後、錦を飾る気持ちであったのか、その地に遊び、旧識不旧識多くが集まって会したが、例の聞きたがりが始まる。なかには英国の網は投げ網か引き網かと聞く者もあり、また、ウミガメを飼う方法はどんなかと聞く者もあり、医者の給料、茶代の有無、間男の相場、首くくりの処分、そんなことが続々質問され、肝心の歓迎の意はどこかへ飛び去り、夜2時とかまで問答し、敵は多勢こちらはひとり、銀行の外に出たこともないので、まことに無用のことに時間を潰してしまったと怒ったとのことである。もっともなことである。

    それに今ひとつ考えてほしいのは、小生は他の人と違って、一生独立で通した男である。もっとも父の遺産によることとはいえ、その他に誰かにへつらって取り立ててもらったのでもない。また誰かにものを習ったということもない。ただその道を好む人が、小生の無知を歯がゆく思ってむずむずするあまりに好んで知らせてくれたということだけである。

    それなのに国税の幾分かを食いかじった留学生などと同様に、報告として、会っていろいろのことを根掘り葉掘り問う。その人はこれを聞いて、ただ南方の弁はこうだ、紀州なまりは今だ消えない、こんなことには詳しいが、あんなことはちっとも観察しなかったそうだと評しあうだけである。その人々に益はなく、こっちは時間を失う。まことに双方にきわめて無用である。

     さて、小生は平生人とむやみに交わることを好まない。これは小生ひとりに限ることかもしれないが、まずは人の天性が美しく発達したものと小生は密かに思うのだ。いったん人と交わる以上は、その人がいかに落ちぶれ切迫した災難にみまわれていようとも、見捨てるのは交友の意味の範囲外のものと小生は思う。

    しかしながら我が国の人は一般に、支那人の詩に、手を覆えばすりばちとやらになり、手をくつがえせばたちまちラッパの口となるとやらいったように、今日交わるものは明日は無挨拶、そんなことは引き受けると言って、さて少し頼むと、そんなことはちっとも知らないなど、馬琴の「食言郷」を目の当たりに見る心地することばかりである。

    だから、小生は田辺にいて、これらの人がむやみに来ても、亡父の知己であった人、また自分の旧友の他は会わない。それらにしても、一通り挨拶するだけで、あまり言葉は言わない。さて、そのなかでも心安い者に興に乗じて何か言うと、これらの人の口は漏斗のようですぐに言い散らす。それを伝え聞いて、見せ物同様に、多くが押しかけるから、こちらは植物採集などというっことは、天気にもより、360日毎日できるものではなく、たまたましようとするときに、そんな人が来るから、やむを得ず、真面目ではかなわないと心得、春画などを見せるのだ。いわば世を愚弄する心である。

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    「"南方マンダラ",「不思議」について,その他」は『南方熊楠・土宜法竜往復書簡』『南方熊楠コレクション〈第1巻〉南方マンダラ』 (河出文庫)に所収。




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