"南方マンダラ",「不思議」について,その他(口語訳23)


"南方マンダラ",「不思議」について,その他(口語訳)

  • 1 姪のこと
  • 2 イタリアの信神者の話
  • 3 英国紳士
  • 4 礼式
  • 5 聞きたがり
  • 6 春画のことなど
  • 7 人を避けるための春画
  • 8 春画の効能
  • 9 田辺に大福長者
  • 10 チバルリー(騎士道)
  • 11 高子
  • 12 愛子
  • 13 飲酒
  • 14 小乗仏教
  • 15 大乗仏教は望みあり
  • 16 時に応じ機に応じ
  • 17 禅批判
  • 18 真言と禅
  • 19 真言宗は今の世に
  • 20 科学教育
  • 21 不思議
  • 22 萃点
  • 23 tact
  • 24 発明というのは
  • 25 夢のお告げ
  • 26 真言徒がなすべきこと
  • 27 科学
  • 28 科学の他に道はない
  • 29 念仏宗
  • 30 科学は真言の一部古伝の功
  • 31 古伝の功
  • 32 科学教育をすすめよ
  • 33 自然の理
  • 34 人間の想像の区域
  • 35 二仏三仏

  • tact

     現に今の人にも tact というのがある。何と訳してよいかわからないが、予は久しく顕微鏡標本を作っているが,同じ薬品、知れきったものを、ひとりがいろいろと細かく量って調合して、よい薬品だけを用いてもすぐに破れる。予は乱暴で大酒などして無茶に調合し、その薬品の中に何が入ったかわからず、また垢だらけの手でいじるなど、まるで無茶である。けれども、久しくやっているからか、予の作った標本は破れない。

    この「久しくやっているから」という言葉は、まことに無意味な言葉で、久しくなにか気をつけて改良に改良を加え、前回失敗した事柄を心得おき、用心して避けて後に事業が進むなら、「久しくやったから」という意味はある。ここで予が言うのはそうではない。何の気もなく、久しくやっていると,無茶は無茶ながら事が進むのである。

    これはすなわち本論の主意である、宇宙のことは、よい理にさえつかまえ当れば、知らなくても、うまく行くようになっているというところである。

     だから、この tact(何と訳してよいかわからない)は、石切り屋が長く仕事をするときは、話しながら臼の目を正しく実用あるように切るようである。コンパスで測り、筋を引いて切ったとしても実用に立たないものが出来る。熟練と訳した人がある。しかし、それでは多年を費やした、またはなはだ勢力を労した意味に聞こえる。

    じつは「やりあて」(やりあてるの名詞とでも言ってよい)ということは、口筆で伝えようにも、自分もそのことを知らないから(気がつかない)、何とも伝えることができないのだ。

    けれども、伝えることができないかあら、そのことがないとも、そのことが役に立たないとも言いがたい。現に化学などで、硫黄と錫と合わせ、窒素と水素と合わせて、硫黄にも正反し、錫にも正しく異なり、また窒素とも水素ともまるで異なる性質のものが出ることが多い。窒素は無害であり,炭素は大栄養品である。それなのに、その化合物であるシアンは人を殺す。

    酸素は火を盛んにし、水素は火にあえば強熱を発して燃える。それなのに、この2者を合わせてできる水は、火とははなはだ仲が悪く、またタピオカという大滋養品は病人にはなはだよいものなのに、これを産出する植物の生の汁は人を殺す毒がある。

    だから、一度そのことを発見して後でこそ,数量が役に立つ(じつは同じことを繰り返して、前の実験と少しも違わないために)。が、発見ということは、予期よりもやりあての方が多いのだ(やりあての多くを一切まとめてという)。

     比例に一例を言おう。鳥の卵が殻が堅いのは、中の卵肉を保護するのがその働きであることは誰も疑わない。また落ちれば割れる心配があらからこそ堅いのだ。しかしながら、この経験というのは、繰り返すことができない。なぜかというとちょっとでも破れれば全体が死ぬからである。だから自然に、または卵自身の意思で改良を重ねたのではない。

    なんとなくやりあてて次第に堅くなったのだ。まことに針金を渡るようなことである。偶然といおうにも偶然ではない。偶然が幾千万つづくものではないからである。だから、筋道のよいやつにやりあてて、離さなかったという他ない。

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    「"南方マンダラ",「不思議」について,その他」は『南方熊楠・土宜法竜往復書簡』『南方熊楠コレクション〈第1巻〉南方マンダラ』 (河出文庫)に所収。




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