"南方マンダラ",「不思議」について,その他(口語訳20)


"南方マンダラ",「不思議」について,その他(口語訳)

  • 1 姪のこと
  • 2 イタリアの信神者の話
  • 3 英国紳士
  • 4 礼式
  • 5 聞きたがり
  • 6 春画のことなど
  • 7 人を避けるための春画
  • 8 春画の効能
  • 9 田辺に大福長者
  • 10 チバルリー(騎士道)
  • 11 高子
  • 12 愛子
  • 13 飲酒
  • 14 小乗仏教
  • 15 大乗仏教は望みあり
  • 16 時に応じ機に応じ
  • 17 禅批判
  • 18 真言と禅
  • 19 真言宗は今の世に
  • 20 科学教育
  • 21 不思議
  • 22 萃点
  • 23 tact
  • 24 発明というのは
  • 25 夢のお告げ
  • 26 真言徒がなすべきこと
  • 27 科学
  • 28 科学の他に道はない
  • 29 念仏宗
  • 30 科学は真言の一部古伝の功
  • 31 古伝の功
  • 32 科学教育をすすめよ
  • 33 自然の理
  • 34 人間の想像の区域
  • 35 二仏三仏

  • 科学教育

     その急務を果たすには、科学教育が入る。この科学教育には、宗旨と同じく、実用説と原理説とある。だから、原理説を心得ないときは、実用ができない。さて(微細でなくとも)事理の順序の立った科学原理説(1はいつまでも1、水素と酸素と合して水と化す、動植物は細胞から成る、エネルギーは形を変えることはあっても量は不変など)を峻拒することは、国が繁盛せず、餓死に及ぶから、それは米虫も願わないとして、さて科学原理説の例で、一々その通りの方法を押し通して、従来の四,五千年前の梵志(ぼんじ)説や南北朝混乱し、支那人同士が索虜、島夷と川を隔てて悪口し,自国という観念すらなかったとき入って来て、あちこち流離した達磨がいった無功徳ぐらいの一言や、またなにかといい加減に泰山府君や児文殊を入れた真言曼荼羅などを相手にして打ちかかって来るときはどうするか。

    われは悟った、またわれは信じる、だからそれでよいといえば、たしかにそれでよい。そのようなときは、無形の伝来物、無用の口碑、仕儀などを残し記したものがある、それが死んで伝が絶えたというので終わる。何でもないことである。

    もし、宗旨が社会に不可欠な一機関であり(予はこれを信じる)、科学の原理説(これは何というしっかりした極理のあるものでないことは前書にいう)ぐらいばかりでは、世間は続かないから、何とぞ、こちらも宗教を拡張して、彼らの不足したところを足し、ともに社会を益しようという日になるなら、どうするか。

    ただただ受け身にだけなって、そんなことは言うまでもない、そんなことは当方の伝えるところにない、これは先師の言わないことである、だから関係ない、そんな原理があろうがなかろうが,我々の悟りは悟りである、と千金丹売り(※千金丹という薬を売る行商人※)を断るだけで事が済むだろうか。

     小生は、科学方面から宗教の外面をいうのは、かの有神教・無神教とか、何の宗教は普通教である、何の宗教は万有教であるなどというのではない。ただし、社会の変遷につれて、社会というものは必要をもととして立つものなので、その社会の必要と乖離した陳腐な言葉ばかりを言い張って、社会に何の益があるのか。

    社会に益がなくとも、信心堅固の一個人に何の増減もないのはもちろんである。ただし、法灯はそれで絶えるのだ。だから真言の教えは絶えてもかまわない。別に信徒がなくとも真言は真言である、宇宙に瀰漫するといえば、いかにもその通りである。予は世相の上から、世相に現われている真言宗が滅びようとしていることを悲しむのだ。

     もし予と同じ心で、仁者がその法灯が長く続くことを思えば、時代に相応してその用意をしないはずがない。現に験術といい、呪詛、調伏といい、今日になっては言うに足りないことながら,また、その教えの本意でも何でもないことでありながら、それまでも、そのことが効験ある世では、取り入れて我が真言宗の役に立てたのではないか。☆〔以下続く〕

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    「"南方マンダラ",「不思議」について,その他」は『南方熊楠・土宜法竜往復書簡』『南方熊楠コレクション〈第1巻〉南方マンダラ』 (河出文庫)に所収。




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