"南方マンダラ",「不思議」について,その他(口語訳34)


"南方マンダラ",「不思議」について,その他(口語訳)

  • 1 姪のこと
  • 2 イタリアの信神者の話
  • 3 英国紳士
  • 4 礼式
  • 5 聞きたがり
  • 6 春画のことなど
  • 7 人を避けるための春画
  • 8 春画の効能
  • 9 田辺に大福長者
  • 10 チバルリー(騎士道)
  • 11 高子
  • 12 愛子
  • 13 飲酒
  • 14 小乗仏教
  • 15 大乗仏教は望みあり
  • 16 時に応じ機に応じ
  • 17 禅批判
  • 18 真言と禅
  • 19 真言宗は今の世に
  • 20 科学教育
  • 21 不思議
  • 22 萃点
  • 23 tact
  • 24 発明というのは
  • 25 夢のお告げ
  • 26 真言徒がなすべきこと
  • 27 科学
  • 28 科学の他に道はない
  • 29 念仏宗
  • 30 科学は真言の一部古伝の功
  • 31 古伝の功
  • 32 科学教育をすすめよ
  • 33 自然の理
  • 34 人間の想像の区域
  • 35 二仏三仏

  • 人間の想像の区域

     そうであるため、予は幼少より我流で歌を弄び、姪または前述した美人の歌などを直すことことがあるが、どんなに上手なものも下手なものも、まったく前人のいった句を離れていうことはできない。これを剽窃したというのは酷評といえる。

    屋代弘賢であったかと思う、31文字を錯列法で算勘して、我が国の和歌を幾百万首とか詠むときは、もはや31文字ではそれ以上歌をひとつも詠み出すことができない世が来る、といった。

    現に大友皇子大津皇子かの詩と同一の句が2つほど続いて出ている、明代の名人の詩がある。また『詩経』の「□(おくりもの)美なるにあらず、これ佳人の贈(おくり)もの」というのと同一の句がローマ時代にある。

    また全く旧世界の、開化を拒絶反対している(たとえば、女は立ち小便をし、男は坐ってする。酒を多く飲むのに肛門からつぎ込む)メキシコ国ですら、その十二支はまったく支那と同じで、ただが西大陸にないから、その代わりに豹、というものは考え及ばないと見えて、その代わりにガラガラヘビがあるだけである。そのガラガラヘビのモザイク(組立て石)を見たが、予は講釈を聞くまではまったく東洋人の書いたと思うほど似ている(ただ足がない)。

    (『徒然草』を、羅山がいろいろと注して出処を示したのを塙保己一が聞いて、じつは兼好はそれほど物は知らなかったはずじゃといったとか。『方丈記』の始めの、ゆく水の云々を、『文選』から出たというのもいかがだろうか。長明は『文選』は読んでいたであろう。しかしそれによって必ず作ったと予は思わない。いま世が書く長文の手紙も一々出処がある。そうであるから捏造というべきだろうか。)

    また『山海経』はが書いたというのはこじつけかもしれないが、たとえ郭璞のこじつけ捏造の贋本だとしても、米国の発見よりはるかに古い。なので、その中に米大陸にだけある動物に酷似したものが多くあって、故西村茂樹氏が『輿地誌略』の米国の部を書いたとき、いろいろの新訳字を用いるよりもましと、『山海経』の字を多く用いたが、はなはだよく当たっている。

     これらのことから、人間の想像の区域にたいてい限りがあり、材料に定数があることを知りなさい 。(天文学などは、じつに錯揉したことを研究する。それでも必要が大きいから人が来る。ゆえに千年ぐらいの間のことは1秒違わずにわかるのだ。)

    ゆえに、このことはこれから出た 、 このことはこれから出たと、釈迦の説などをその先の人から出た出たという人がいれば、試みに抽象的に、例は挙げずに、人間の至道、日常の倫理などで、一向先人がいわない、故人の気がつかないことを、何かひとつ言って聞かせてくれと言ってみよ。

    じつにひとつもないことに困るであろう。否、そんな人があればそれこそ大自在天、無中有を生かすことができる造物主と驚くの他ない。ウォレス氏(ダーウィンと同日に自然淘汰説を出した人、現存)がいうには、今日斬新斬新という技巧の発明も、漸次、旧に依って改良の余りに出たものでないものはひとつもない、と。この人は世にいわゆる大斬新の自然淘汰説を出し、諸学問に大影響を及ぼした人である。それなのに、みずから述べることはこのようである。

    ましてや、宗旨のいうところは、人間に切実なことと大道至理のみ。これを誰がいったといって功名になることではない。ただし、その一部分を伺うものだけがうち続いていたなかに、釈迦が出てこれを総括して、その要所を言うことができたので、それから大乗の端緒が開かれた。

    加減の2法しか知らないものは2を10乗せよといわれても、その方を容易にすることはできない。2+2+2+2+2+2+2+2+2+2 と長々しく数珠つなぎに加える他なく、また100を20でわれといわれれば、100−20−20−20−20−20 と20を5度ひいてみて、さて0になる。そこで20を幾度引いたら100が零になったとよんで見て、5度だから100を20で除すれば5と答える他ない。

    それを敷衍して乗除の法を出したのが大乗教である。乗除は加減を基とする。すでに乗除を知るならば、加減に用はない。否、加減ではまわりくどくて事を阻むであろう。しかしながら、加減の功績がなくなるということはない。

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    「"南方マンダラ",「不思議」について,その他」は『南方熊楠・土宜法竜往復書簡』『南方熊楠コレクション〈第1巻〉南方マンダラ』 (河出文庫)に所収。




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