田原藤太竜宮入りの話(その41)

田原藤太竜宮入りの話インデックス

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    芳賀博士の『考証今昔物語集』にこの話を挙げた末に巻三の十一条および浦島子伝を参閲せよとあるが、浦島子の事は誰も御承知で、『今昔物語』三の十一語は迦毘羅衛かびらえ釈種しゃくしゅ滅絶の時、残った一人が流浪して竜池辺で困睡する所へ竜女来り見てこれを愛し夫とし、竜女の父竜王のはかりごとで妙好白氈はくせんに剣を包んで烏仗那うじゃな国王に献じ、因って剣を操りて王を刺し代って王となり竜女を後と立てたはなしふたつながら本話に縁が甚だ遠い。

    また考証本にこの竜女を救うてその父から金餅を得た話の出処を挙げおらぬが、予は二十年ほど前に見出し置いたから出さんに、東晋の仏陀※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)ばーどらと法顕共に訳せる『摩訶僧祇律』三十二にいわく、仏舎衛城にいます時、南方一邑あるむらの商人八牛を駆って北方※(「口+多」、第3水準1-15-2)くしゃ国に到り沢中に放ち草を食わしむ、時に離車種の者竜を捕り食うが一竜女を捕えた、この竜女布薩法ふさつほうを受けたれば殺心なく、鼻に穴開け縄を通してかれ行く、

    商人竜女の美貌を見て慈心を起しとあるが、全体竜女は婉妍人間婦女の比にあらず、今もインドで男子をして魂飛び魄散ぜしむるほどの別嬪を竜女と称うる(エントホヴェンの『グジャラット民俗記』一四三頁)くらい故、この商人も慈心も起せばの字でもありやしたろう、この商人離車に一牛を遣るからその竜女を放てというも聴かず、因って種々り上げて八牛で相談調い竜女を放った、

    商人こんな悪人はまた竜女を取るも知れぬと心配して、その行く方へ随って行くとある池の辺で竜が人身に変じ商人に活命の報恩にわが宮へ御伴おともしようと言う、商人いわく汝ら竜の性卒暴、瞋恚しんい常なし、我を殺すかも知れぬから御伴はぴらと、竜女いわくわが力くかの離車を殺すも我布薩法を受けた故殺さなんだ、いわんや活命の大恩ある人を殺すべきや、少しく待ちたまえといってまず入り去った、

    この辺竜宮の門あり、二竜をつなげり、商人その訳を問うと答うらく、この竜女半月中三日斎法を受く、わが兄弟二人この竜女を守る事堅固ならず、離車に捕わるるに及んだで繋がれいる、何卒なにとぞ救い助けたまえ、一体竜宮の飲食に種々ある、一度食うて一生懸って消化するもあり、二十年で消化するも七年でするもあれば、閻浮提えんぶだい人間の食もある、君もし宮に入って何に致しましょうと馳走の献立を伺われたら、閻浮提人間の食を望みたまえと、問わぬ事まで教えくれた、

    ところへ竜女来って商人を呼び入れ宝牀褥上に坐らせ何の食を食わんと欲するかと問うので、閻浮提人間の食を望んだ、すると竜女種々の珍饌を持ち来りさあお一つとる、商人今ここへ来る門辺に竜二疋繋がれあったが何の訳ぞと問うに、そんな事は問わずに召し上がれという、余りに問い返すので余儀なく彼は過ちある故殺そうと思うと答う、商人汝彼ら殺さずばわれ食事せん、ゆるさぬ内は一切馳走を受けぬと言い張ったので竜女も我を折り、直様すぐさま釈す事はならぬが六ヶ月間人間界へ擯出しようと言ってやがてかの二竜を竜宮から追い出した、

    商人竜宮を見るに種々の宝もて宮殿を荘厳す、商人汝かく快楽多きに何のために布薩法を受くるかと問うと、我々竜に五事の苦しみあり、生まるる時、眠る時、婬する時、いかる時、死ぬ時、本身を隠し得ず、また一日のうち三度皮肉地に落ち熱沙身をさらすと答う、何が一番竜の望みかと問うと、畜生道中正法を知らぬ故人間道に生まれたいと答う、

    もし人間に生まれたら何らを求むるかと問うと、出家が望みと答う、出家を誰にいてすべきかと問うと、如来応供おうぐ※(「彳+扁」、第3水準1-84-34)知、今舎衛城にあって、未度の者を度し未脱の者を脱したもう、君も就いて出家すべしと勧めたのでしからば還ろうと言うと、竜女彼に八餅金へいきんを与え、これは竜金なり、君の父母眷属けんぞくみたす、終身用いて尽きじと言い眼を閉じしめて神変もて本国に送り届けた、

    宅では商人の行伴つれ来りてこの家の子は竜宮へ往ってしもうたとしらせたので、眷属宗親一処にあつまり悲しみく、ところへまたかの者生きて還ったと告ぐる者あり、一同大歓喜で出迎え家に入って祝宴を張った、席上かの八餅金を出して父母に与え、これは竜金でり取って更に生じ一生用いて尽きず、これを以てらくに世を過されよ、ただ願わくは父母我に出家をゆるせと望み、父母放たざるを引き放ちて※(「さんずい+亘」、第3水準1-86-69)精舎ぎおんしょうじゃに詣り出家したそうじゃ、

    竜女が殺さるるところを救うたのも、竜宮へ迎えて珍饌で饗応されたのも、殊に餅金を受けて用いれども尽きなんだ諸点が合うて居るから、『今昔物語』の話は北インドの仏説から出たに相違なく、『近江輿地誌略』三九秀郷竜宮より得た十宝中に砂金袋を列せるは、たまたまくだんの餅金を得た仏話が秀郷竜宮入譚の幾分の原話たるあとを存す、

    『曼陀羅秘抄』胎蔵界の観音院に不空羂索ふくうけんじゃくあり、『仏像図彙ずい』に不空羂索は七観音の一なり、南天竺の菩提流支が唐の代に訳した『不空羂索神変真言経』にこの菩薩の真言を持して竜宮に入りて如意宝珠を竜女より取り、また竜女を苦しめて涙を取り飲んで神通と長寿を得、竜女の髪を採りて身体にけ、一切天竜羅刹等を服従せしむる等の法を載す、上引の『今昔物語』の文に竜の油を以て如意を延ばすとあるは、この話の主人公たる若者が観音に仕えたとあるに因み、七観音の一たる不空羂索の真言で右様の百事如意の法を求むる事あるを、如意てふ手道具と心得違うたのでなかろうか。

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    「田原藤太竜宮入りの話」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収

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