田原藤太竜宮入りの話(その39)

田原藤太竜宮入りの話インデックス

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    芳賀博士はこの話を『今昔物語』十巻三十八語のもとと見定められた、その話は昔震旦しんたんの猟師海辺に山指し出た所に隠れて鹿を待つと、海に二つの竜現われ青赤※(「口+敢」、第3水準1-15-19)い合い戦うて一時ばかりして青竜負けて逃ぐ、その夜そこに宿り明日見れば昨と同時にまた戦うて青竜敗走した、面白くてその夜もそこに宿って三日目にまた戦うて青竜例の通りというところを、猟師めて赤竜に射中いあてると海中に入って、青竜も海に入ったが玉を※(「口+敢」、第3水準1-15-19)くわえ出で猟師に近づき吐き置いて海に入った、その玉を取りて家に返りしより諸財心に任せ出で来て富に飽き満ちたというのだ、如意宝珠にょいほうじゅとて持つ人の思いのままに富を得繁盛する珠を竜が持つとはインドに古く行われた迷信で、『新編鎌倉志』に如意珠二種あり、一は竜の頸の上にあり、一は能作生珠と号して真言の法を行うて成る、鶴岡八幡宮の神宝なるは能作生珠だ、その製法呪法は真言の秘法というとある。『華厳経けごんぎょう』に一切宝中如意宝珠最も勝るとあり。

    『円覚鈔』にいう、
    〈如意と謂うは意中つところ、財宝衣服飲食種々の物、この珠ことごとく能く出生し、人をして皆如意を得せしむ〉。『大智度論』には〈如意珠仏舎利よりづ、もし法没尽する時、諸舎利、皆変じて如意珠とる〉。

    『類函』三六四、
    〈『潜確類書』に曰く竜珠あごにあり蛇珠口にあり〉。

    『摩訶僧祇律』七に雪山水中の竜が仙人の行儀よく座禅するを愛し七まき巻きて自分の額で仙人のうなじを覆い、食事のほか日常かくするので仙人休み得ず身体くたびれせて瘡疥を生ず、ところへ近所の者来り若い女に百巻捲かれても苦しゅうないが竜に七巾ではお困りでしょう、よい事がある、竜は天性慳吝けんりんで、咽上に宝珠あるからそれをもとめなさいと教え、竜また来ると仙人彼に汝われをさほど愛するなら如意宝珠をくれというた、竜われこの宝あればごく上饌じょうせんと衆宝を出し得るなれ、これは与うべからずとて淵に潜んで再び来なんだと載す。

    『正法念処経』二九などを見ると宝珠を求めて竜蛇を殺す事多かったらしく、今のインド人も蛇の頭にモホールてふ石あり夜を照らし蛇毒を吸い出す、人見れば蛇自ら呑んでしまいまた自分が好く人に与うるがこれを得る事すこぶる難しと信じ(エントホヴェン編『グジャラット民俗記』一四三頁)、アルメニア人の説にアララット山の蛇に王種あり、その中一牝蛇を選立して女王とす、外国より蛇群来り攻むれど諸蛇脊にかの女王を負う間は敵常に負けしりぞく、女王ににらまるれば敵蛇皆力なし、この女王蛇口にフルてふ光明石を含み夜中これを空に吐き飛ばすと日のごとく輝くという(ハクストハウゼン著『トランスカウカシア』英訳三五五頁)。

    一八三九年死んだ北インド王ランジットシンは呪言を書いた宝石を右臂の皮下に納めおったので、百事思うままに遂げたというは人造如意珠すなわち能作生珠だろう(フォンフュゲル『迦※[#「さんずい+(一/(幺+幺)/土)」、205-2]弥羅および西克王国遊記カシュミル・ウント・ダス・ライヒ・デル・シエク』巻三、頁三八二)、

    『大智度論』に竜象獅鷲の頭に赤玉あり、欧州で蛇王バリシスク宝冠を戴き(ブラウン『俗説弁惑プセウドドキシア・エピデミカ』三巻七章ウィルキン注)、蟾蜍ひきがえるの頭に魔法と医療上神効ありてふ蟾蜍石ブフォニットありなど(一七七六年版ペンナント『英国動物学ブリチシュ・ゾオロジー』三巻五頁)多く言ったは、交通不便の世に宝玉真珠等の出処を知らぬ民が、貴人の頭上に宝冠を戴くごとく希有けうの動物の頭にかかる貴重物を授くと信じたからで、後世その出処がほぼ分ってもなお極めて高価な物は竜蛇の頭より出ると信じたのであろう。

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    「田原藤太竜宮入りの話」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収

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