(竜とは何ぞ10)
それからトザーの『土耳其高地の研究』巻二に、近世リチュアニア、セルビア、ギリシア等で、竜は竜の実なく一種の巨人采薪狩猟を事とし、人肉を食うものとなり居るも、比隣のワラキア人はやはり翼と利爪あり、焔と疫気を吐く動物としおる由を言い、件の竜てふ巨人に係る昔話を載す。ラザルスてふ靴工、蜜を嘗めるところへ蠅集まるを一打ちに四十疋殺し、刀を作って一撃殺四十と銘し、武者修業に出で泉の側に睡る。
その辺に棲める竜かの刀銘を読んで仰天し、ラ寤むるを俟ちて請いて兄弟分と為る、竜夥の習い、毎日順番に一人ずつ、木を伐り水汲みに往く、やがてラが水汲みに当ると、竜の用うる桶一つが五十ガロン入り故、空ながら持ち行くに困苦を極む、いわんや水を満たしては持ち帰るべき見込みなし、因って一計を案じ、泉の周囲を掘り廻る。
余り時が立つので、見に来ると右の次第故何をするかと問う、ラ答うらく、毎日一桶ずつ運ぶのは面倒だからこの泉を全で持って帰ろうとするところだ、竜いわく、それを俟つ間に吾輩渇死となる、汝を煩わさずに吾輩ばかり毎日運ぶ事としよう。次にラが木伐の当番となり、林中に往き、縄で所有樹を絆ぎ居る、また見に来て問うに対えて、一本二本は厄介故、皆持って往こうと言うと、その間に竜輩凍死すべければ、以後汝を休ませ、吾輩毎日運ぶべしと言った。
誠に厭なものを兄弟分にしたと迷惑の余り竜輩評議して、ラが睡るに乗じ斧で切り殺すに決した。ラこれを窃み聞き、その夜木槐に自分の衣を著せ臥内に入れ、身を隠し居るとは知らぬ竜輩来て、木が屑になるまでり砕いて去った。ラ還って木を捨てその跡へ臥す。
鼾が高いので、竜輩怪しみ何事ぞと問うに、今夜痛く蚋に螫されたと対う。あんなに強か斧でったのを蚋が螫したとは、到底手に竟ぬ奴だ、何とかして立ち退かそうと考え、翌旦ラに、汝も妻子をちと訪ねやるがよい、大金入りの袋一つ上げるからと言うと、汝らのうち一人その袋を担げて随いて来るなら往こうと言う。
因って竜一人従してラの宅に近づくと、暫く待っておれ、我は先入って子供が汝を食わぬよう縛り付けて来るとて宅に入り太縄で子供を括り、今竜が見え次第大声でその竜肉を啖いたいと連呼けよと耳語いて出で、竜を呼び込むと右の通りで竜大いに周章て、袋を落し逃れた。
途上狐に会って子細を話すと、痴けた事を言いなさんな、ラザルスごとき頓知奇の忰が何で怖かろう、われらなどはあの家に二羽ある鶏を、昨夜一羽平らげ、只今また一羽頂戴に罷り出るところだ、嘘と想うなら随いて来なせえといって、竜を自分の尾に括り付けてラの宅に近づく、ラこれを見て狐に向い、われ汝に竜を残らず伴れて来いと言ったに、一つしか伴れて来ぬかと呼ばわる。竜さては狐と共謀して、吾輩を食うつもりと合点し、急ぎ奔ると、きずられた狐は途上の石で微塵に砕けた。
ラは最早竜来る患なければ、安心してかの袋の中の金で巨屋を立て、余生を安楽に暮したそうだ。竜をかかる愚鈍なものとしたのは、主として上述の川に落ちて死ぬほど、身重く動作緩慢なりなどいう方面から起っただろう。
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「田原藤太竜宮入りの話」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収