(概言1の2)
サルとは何の意か知らぬが巫女の
マレイ語にルサあるが鹿を意味す。『翻訳名義集』に
しかるに和歌に猴を詠む時もっとも多く用いるマシラなる名は古来摩斯の音に由ると伝うるはいぶかし。ところが妙な事は十七世紀の仏人タヴェルニエーの『印度紀行』に、シエキセラに塔ありてインド中最大なるものの一なり、これに附属する猴飼い場ありて、この地の猴をも近国より来る猴をも収容し商人輩に
英国学士会員ボール註に、これは四世紀に晋の
法顕の遺書たる『法顕伝』『仏国記』共にこの地で仏法大繁盛の趣を書せど猴の事を少しも記さず。それより二百余年
『和州旧跡幽考』に猿沢池は
また『賢愚因縁経』十二に、
『大智度論』二六に
これらの例から見ると、摩頭羅なる語の本義は何ともあれ、国としても人としても仏典に出るところ猴に縁あれば、猴の和名マシラはこれから出たのかと思わる。
本来サルなる邦名あるにマシラなる外来語をしばしば用いるに及んだは、仏教弘通(ぐつう)の勢力に因ったがもちろんながら、サルは去ると聞えるに反してマシラは優勝(まさる)の義に通ずるから専らこれを使うたと見える。
『弓馬秘伝聞書』に祝言(しゅうげん)の供に猿皮の空穂(うつぼ)を忌む。『閑窓自語』に、元文二年春、出処不明の大猿出でて、仙洞(せんとう)、二条、近衛諸公の邸を徘徊せしに、中御門(なかみかど)院崩じ諸公も薨(こう)じたとあり。今も職掌により猴の咄(はなし)を聞いてもその日休業する者多し。
予の知れる料理屋の小女夙慧なるが、小学読本を浚(さら)えるとては必ず得手(えて)と蟹(かに)という風に猴の字を得手と読み居る。かつて熊野川を船で下った時しばしば猴を見たが船人はこれを野猿(やえん)また得手吉(えてきち)と称え決して本名を呼ばなんだ。
しかるに『続紀』に見えた柿本朝臣佐留(さる)、歌集の猿丸太夫、降(くだ)って上杉謙信の幼名猿松、前田利常(としつね)の幼名お猿などあるは上世これを族霊(トーテム)とする家族が多かった遺風であろう。
『のせざる草紙』に、丹波の山中に年をへし猿あり、その名を増尾の権(ごん)の頭(かみ)と申しける。今もこの辺で猴神の祭日に農民群集するは、サルマサルとて作物が増殖する賽礼(さいれい)という。
得手吉とは男勢の綽号(あだな)だが猴よくこれを露出するからの名らしく、「神代巻」に猿田彦の鼻長さ七咫(し)、『参宮名所図会』に猿丸太夫は道鏡の事と見え、中国で猴(こう)を狙(そ)というも且は男相の象字といえば(『和漢三才図会』十二)、やはりかかる本義と見ゆ。ある博徒いわく、得手吉は得而吉で延喜(えんぎ)がよい、括(くく)り猿(ざる)というから毎々縛らるるを忌んで猴をわれらは嫌うと。
唐の