(性質4)
熊楠いわく、この譚は回教国の物らしいが、類話は古く仏典に出て居る。過去世に伽奢国王梵施と拘薩羅国王長生と父祖以来怨仇たり。
梵施王象馬歩車の四兵を以て長生王を伐ち戦敗れて生捕られしを長生王赦して帰国せしめた、暫くして梵施王また兵を起して長生王を伐ち敗り、長生王その后と深山無人の処に隠れ、琴を学んで無上に上達し諸村を徘徊して乞食す。梵施王の第一大臣この夫婦を招き音楽を聴くに未曾有にうまいから、乞食をやめさせ自邸に住ましめ扶持して琴を指南せしむ。時に長生王の后臨月に近付き夫に語るは、何卒朝日初めて出る時好き幃帳内に妾を臥せしめ、四つ辻で象馬歩車の四兵の闘う処を見せ、闘いに用いた利刀の洗汁を飲ませて欲しいと。
王それは出来ぬ相談だ、昔王位にあった時はともかく、かく落ちぶれて暮し兼ねるに「寝ていて戦争を眺めたい」などは思いも寄らぬというと、后それが出来ずば子を生まずに死ぬとせがむ。折から大臣に招かれ琴を弾くにややもすれば調子合わず、何か心配があるのかと推問されて事情を語る。その時自分夫婦は腹からの乞食でなく実は拘薩羅国の王と后だと打ち明けたらしい。
大臣これを憐み望みの通り実行させて刀の洗汁を后に飲ましむ。さて生まれた男児名は長摩納、この子顔貌殊特で豪貴の人相を具う。かの大臣これ後日聖主となり亡国を復興する人物と、后に向い祝辞を述べ、家人を戒めこの語を洩らさば誅戮すべしというた。
長摩納ようやく成人して梵施王の諸大臣や富人を勧進し施財を得て父母の貧苦を救う。梵施王聞き及んで長生王を死刑に処した。長摩納母を伴って他国に奔り、琴を修業しまた乞食して梵施王の城下へ来た。王その長生王の子たるを知らず、召して深宮に入れその妙技に感じ寵愛自分の子のごとし。時に梵施王の后摩尼珠を失い、我が所は王と長摩納のほか入る者なきにこの珠をなくしたは不審という。
王、長摩納を呼び汝珠を取ったかと問うに、全く王の太子、王の首相、国中第一の長者、第一の遊君の四人と共謀して取ったと答う。王すなわち五人の者どもを禁獄したが容易に裁判済まず。かれこれするうち賊あり、私かに長摩納に向い、后宮へ出入するは王と后と汝三人に限るが、そのほかに后宮内を歩き廻る者がないかと尋ぬるに、猴一疋ありと答う。
賊すなわち王に詣り請うて、女人の飾具瓔珞を種々出し、多く猴を集めこれを著けて宮内に置くと、先から宮中にいた猴これを見て劣らじと偸んだ珠を佩びて立ち出づるを賊が捕えて王に渡した。王すなわち長摩納を呼び汝珠を取らぬに何故取ったと言うたかと問うと、某実に盗まざれど王と后と某のほか宮に入る者なきに盗まぬといったところで拷問は差し当り免れぬ。
太子は王の愛重厚ければ珠くらいの事で殺されじ、首相は智者ゆえ何とか珠を尋ね中つべし、第一長者は最も財宝に富めばすいた珠を奉り得べく、第一遊君は多人が心を掛くるから日頃の思いを晴らしもらうはこの時と、必ず珠を償う者あるべしと考えてこの四人を同謀と虚言したと答えたので、王その智慧を感じますます鍾愛した。
ある日王、兵衆を随えず長摩納に車を御せしめ、ただ二人深山に入って猟し、王疲れて長摩納の膝を枕に眠った。長摩納父の仇を復すはこの時と利剣を抜いて王の首に擬したが、父王平生人間はただ信義を貴ぶべしと教えたるを思い出し、恚りを息め剣を納めた時俄然王驚き寤めた。身体流汗毛髪皆立ち居る様子、その子細を問うと我今夢に若者あり、右手剣を執り、左手わが髪を撮み、刀を我が頸に擬し、我は長生王の太子、亡父のために復仇するぞというを聞き、夢中ながら悔いて自ら責めたと語る。
御者王に白す、還って安眠せよ、また驚くなかれ、長生王の子長摩納実は某なりと。王命じて車を御せしめ王宮に還り御者の罪を議するに、まず手足を截ちて後殺すべしの、その皮を生剥ぎにすべしの、火で炙った矢で射るべしのと諸大臣が申す。
王この御者は長生王の太子なり。その復仇を中止して我を免したればこそ我生き居るなれ、卿ら悪意を生ぜざれとして一女を長摩納に妻わせ拘薩羅国王に立てたとある(『出曜経』十一、『四分律』四三を参酌す)。
従来誰も気付かぬようだが、この物語のうち長摩納に剣を擬せられ居る梵施王がその通り夢に見たところは、「垂仁紀」に天皇狭穂姫皇后の膝を枕に寝ね小蛇御頸に繞うと夢みたまいし段に似、長摩納が王を殺さんとして果さなんだところは、『吉野拾遺』、宇野熊王が楠正儀を討ち果せなんだ話に類す。而して猴が他の諸猴の真似して偸んだ珠を佩び現われたところは上述赤帽の行商人の譚に近い。
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