(性質3)
熊楠いわく、故ロメーンズ説に猴類の標本はどうしても十分集まらず、これはその負傷から死に至る間の惨状人をして顔を背けしむる事甚だしきより、誰もこれを銃殺するを好まぬからだと。
『三国志』に名高い呉に使して君命を辱めなんだ蜀漢の芝は、才文武を兼ねた偉物だったが、黒猿子を抱いて樹上にあるを弩を引いて射て母に中てしにその子ために箭を抜き、木葉を巻きてその創を塞ぐ、芝嘆じてわれ物の性に違えり、それまさに死せんとすと、すなわち弩を水中に投じたがやがて俄に死んだという。
南唐の李後主青竜山に猟せし時、一牝猴網に触れ主を見て涙雨下し稽してその腹を指ざし示す。後主人をして守らしむるにその夕二子を生んだ。還って大理寺に幸し囚繋を録するに、一婦死刑に中れるが妊娠中ゆえ獄中に留め置くと、いくばくならず二子を生んだ。後主猴の事に感じ死刑を減じ流罪に止めた(『類函』四三二)。
日本にも、櫛笥殿北山大原の領地で銃もて大牝猴を覘うに、猴腹を示し合掌せしにかかわらず打ち殺し、その祟りで煩い死んだと伝う(『新著聞集』報仇篇)。今年元日の『大正日々』紙に、越前の敦賀郡愛癸村字刀根の気比神社は浪花節の勇士岩見重太郎が狒々を平らげし処という。今も祭礼に抽籤もて一人の娘を撰み櫃に入れ、若者舁ぎ行きて神前に供う。供わった娘は後日良縁を得とて競うてこれに中らんと望む。この村へ毎年二、三百疋の猴来り作物を荒すを村人包囲して捕え子猿を売る。孕んだ猴は腹を指さし命を乞うとあった。
またしばしば熊野の猟師に聞いたは、猴に銃を向けると合掌して助命を乞う事多しと。これを法螺譚とけなし去らんとする人少なからぬが、一概にそうも言えぬ。
数年前予が今この文を草し居る書斎に対して住みいた芸妓置屋の女将が愛翫したカジカ蛙が合掌して死んだは信心の厚い至りと喋々して、茶碗の水ででも沾したものか、川穀(ズズダマ)大の涙を落し坊主に読経させて厚く葬ったと聞いた。
善男信士輩、成湯の徳は禽獣に及びこの女将の仁は蛙を霑おすと評判で大挙して弔いに往ったは事実一抔啖されたので、予が多く飼うカジカ蛙が水に半ば泛んで死ぬるを見るに皆必ず手を合せて居る。これはこの蛙の体格と死に際の動作がしからしむるので念仏でも信心でもない。
チャーレス・ニウフェルドの『カリーファの一囚人』(一八九九年板)に、著者が獄中にあって頭上で夥しく砲丸破裂の憂目を見た実験談を述べて、その時獄中の人一斉に大腹痛大下痢を催したと書いた。われわれ幼時厳しく叱られ驚愕措く所を知らぬ時も全くその通りだった。
因って想うに猴も人も筋肉の構造上から鉄砲など向けらるると自ずと如上の振る舞いをするので、最初は驚怖が合掌を起し、追々恐怖が畏敬に移り変って合掌する事となったので、身持ちの牝猴も女も、恐怖極まる時は思わず識らず指が腹に向くので、さもなき牡猴や男にも幾分その傾向を具え居るので、時として孕婦の真似するよう見えるのでなかろうか。
ペッチグリウ博士続けていわく、予かつて高等哺乳動物の心室と心耳の動作を精測したき事あって一疋の猴の躯を嚢に入れてひっ掻かるるを防ぎ、これにクロロホルムを施すに猴あたかも予の目的を洞察せるごとく、悲しみ気遣いながら抵抗せず、予の為す任に順いしは転た予をして惻隠の情に堪えざらしめた。その行い小児に強いられてやむをえず麻薬を施さしむるに異ならず、爾来どんな事あるも予は再び猴に麻薬を強うるを欲せず。
またある時ロンドンの動物園で飼いいた黒猩(チンパンジー)が殊のほか人に近い挙止を現ずるを目撃した。それは若い牝だったが、至って心やすい番人よりその大好物なる米と炙肉汁の混ぜ物を受け徐かに吸いおわり、右手指でその入れ物ブリキ缶の底に残った米を拾い食うた後、その缶を持って遊ぼうとするを番人たって戻せと命じた。
そこで黒猩暴かにすね出し、空缶を番人に投げ付け、牀に飛び上り、毛布で全身を隠す、その体気まま育ちの小児に異ならなんだ。
ロメーンズの記に、牝猩々が食後空缶を倒に頭に冠り観客が見て笑うを楽しみとした事あり。サヴェージ博士は黒猩時に遊楽のみのために群集し、棒で板を打って音を立つ事ありというた。猴どもが動物園内で軽業を面白可笑しく楽しむは皆人の知るところで、機嫌好く遊ぶかと見ればたちまちムキになって相闘い、また毎度人間同様の悪戯をなす。
アンドリウ・スミス男喜望峰で見たは、一士官しばしばある狗頭猴を悩ます、ある日曜日その士盛装して来るを見、土穴に水を注ぎ泥となし、俄に投げ掛けてその服を汚し傍人を大笑せしめ、爾後その士を見るごとに大得色を現じた由。
猴は極めて奇物を好む。鏡底に自分の影映るを見て他の猴と心得、急にその裏を覗き見る。後、その真にあらざるを知り大いに誑かされしを怒る。また弁別力に富む。
レンゲルいわく、一度刃物で怪我した猴は二度とこれに触らず、あるいは仔細に注意してこれを執る。砂糖と蜂を一緒に包んだのを受けて蜂に螫されたら、その後かかる包みを開く前に必ず耳に近付けて蜂の有無を聞き分ける。一度ゆで卵を取り落して壊した後は、卵を得るごとに堅い物で打ち欠き指もてその殻を剥ぐ。また機巧あり、ベルトが睹た尾長猴はいかにこんがらがった鎖をも手迅く解き戻し、あるいは旨く鞦韆を御して遠い物を手に取り、また己れを愛撫するに乗じてその持ち物を掏った。
キュヴィエーが飼った猩々は椅子を持ち歩いてその上に立ち、思うままに懸け金をはずした。レンゲルはある猴は梃の[#「梃の」は底本では「挺の」]用を心得て長持の蓋を棒でこじあけたというた。ヘーズン一猴を飼いしに、その籠の上に垂れた木の枝に上らんと望めど、籠の戸の上端に攀じ登って始めて達し得。しかるにこの戸を開けばたちまち自ずから閉ずる製ゆえ何ともならず。その猴取って置きの智慧を揮い、戸を開いてその上端に厚き毛氈を打ち掛け、戸の返り閉づるを拒ぎ、やすやすと目的を遂げたそうだ。
シップは喜望峰狗頭猴、下より来る敵を石などを集め抛下して防ぐといい、ダムピエート・ウェーファーは猴が石で牡蠣を叩き開くを記す。多くの下等動物や小児や蛮民同様、猴は多く真似をする。皆人の熟知する通り。行商人、炎天に赤帽の荷を担い歩み憊れて猴多き樹下に止まり、荷箱を開いて赤帽一つ取り出し冒って眠るを見た猴ども、樹より降りて一々赤帽を冒り樹に登る。その人寤めて多くの帽失えるを知り失望してその帽を地に抛つと、衆猴その真似してことごとく盗むところの帽を投下し、商人測らず失うところを残らず取り還したてふ話があると。
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