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『雑宝蔵経』八にいわく、昔波羅奈国の梵誉王、常に夜半に塚間に咄王咄王と喚ぶを聞く、よく聞くと一夜に三度ずつ喚ばわる事やまず。王懼れて諸梵志・太史・相師を集めこの事を諮う。諸人これは必常妖物の所為と見えるから、胆勇ある者を遣わして看せたらよかろうと申す。
王すなわち五百金銭を懸賞してその人を募るに、独身暮しで大貧乏ながら大胆力の者ありて募りに応じ、甲冑を著し刀杖を執って夜塚間に至ると、果して王を喚ぶ声す。汝は何者ぞと叱ると、我は伏蔵だと答えた。伏蔵とは「田原藤太竜宮入りの譚」に書いた通り、インド等には莫大の財宝を地下に埋めあり、今もそれを掘り当てる事を専門にする者が多く、それを言い中るを業とする術士も少なからぬ。
さて伏蔵、募人に語るは、汝は剛の者でわれを怖れぬ。我れ毎夜かの王を喚ぶ。王我に答えたら我れ王の庫中に入れてやるべきに、かの王臆病者でかつて答えぬから仕方がない。我がほかに眷属が七つある。明朝伴って汝の家に行こうと、募人それはありがたいが明朝どうして汝らを迎うべきかと問うと、伏蔵答えて、汝ただ家内を掃除し糞穢を除き去り、香花を飾って極めて清浄ならしめ、葡萄、甜漿、酥乳の粥を各八器に盛って俟て、然る時八道人ありて汝が供物を食うはず、さて飲食しおわったら、汝杖を以て上座した者の頭を打ち隅に入れと言え、次の者どももことごとく駆って隅に入れよと、募人心得て家に帰り王より五百金銭を受けて馳走を用意に及ぶ。王かの夜喚ぶ者は何物ぞと問うに、募人詐ってあれは化物でござったと申す。
それより理髪師を招き身じまいをした。翌朝馳走を備えた所へ果して八道人来り、飲食しおわるを俟ってまず上座の頭を打ち隅へ駆り入れると、たちまち変じて金銭一と成った。跡の奴原も次第に駆り入れて金銭八が出来た。時に理髪師門の孔からこの体たらくを覗きおり、道人の頭さえ打たば金に成ると早合点して、他日自ら馳走を用意し心当りの道人八人を招待して飲食せしめ、すでにおわって門戸を閉じ、いきなり上座の道人の頭を打つと、これはただの人間だから血出て席を汚し、余りに隅へ駆り入るるの急なるより糞を垂れた。
七人までかくのごとく打ち倒されたが八番目の道人力強くて戸外に突き出で、この主人は我らを殺さんとすと大いに叫んだ。国王人を遣わし理髪師を捉えて委細を聞き、更に人を遣わして募人の家を検するに金銭夥しく持ち居る。王その銭を奪うと銭が毒蛇また火の玉と成ったので、これはわれが取るべきでないと言って募人に返したと。
この話の発端におよそ一切の法、求むべき処においては方便を以て得べし、もし求むべからずんば、強いて得んと欲すといえども、すべて獲べからず、譬えば沙を圧して油を覓め、水を鑽って酥を求むるがごとく、既に得べからずいたずらに自ら労苦すとある。
その言い様が『福富草子』の最初に「人は身に応ぜぬ果報を羨むまじき事になん侍る」といえるによく似て居る。のみならずこの草子に、屁を放ち損じて大便を垂れたので叱り打たれて血に塗れ、帰ったとあるは、件の経文に〈この道人、頭破れ血瀝り、床座を沾汚す、駆りて角に入らしむ、急を得て糞を失す、次第七人、皆打棒せられ、地に宛転す〉とあるから転化したのだ。
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