犬に関する伝説(その15)

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     漁師の子は逆さま靴の謀で一旦逃げ延びたが、今更行き処がないので身を水中に投げると、竜王これをその宮中に迎え入れた。日初王聞きて諸呪師を召集し往きて竜を呪せしむ。その時一の夜叉名を賓伽羅びんがらと呼ぶ者曠野に住んで血肉を食い、その住む処樹木すら枯れ獣畜も逃れ去るほど故、人はとても活き得ず。

    漁師の子竜王己れの故に呪せられ苦しむを見兼ねて、この曠野に逃る。竜王呪師に向い、彼既に曠野の夜叉に食われた上は、我を呪し苦しめても益なしという故、呪師ども還って王に告げ、王も一安心しながらなお念を入れて漁師の子の成り行きを尋ねしめた。

    夜叉はもろもろ悪狗あくくとともに一処にあって漁師の子の来るを見、これは自分を殺しに来た者と心得、狗をして追い捉えしむると、漁師の子素早く木に上り狗ども下にあって守る。夜叉来ってこの野へ来る人間は皆我に食わる、汝も下り来りて食われよというと、我命ある内は下らぬというから、夜叉も気長く守って樹下に眠る。その上から漁師の子が自分の衣を脱いでなげうち、あまねく夜叉の体を覆うと、狗ども夜叉を人と心得、寄り集まって食い尽したとある処が、白竜はくりょう魚服ぎょふくして予且に射られた故事に似て居る。

     狗どもが夜叉を食い居る間に漁師の子は脱れ走った。途上で我が叔父(母の兄弟らしい)世を捨て仙人となり居る者ありと聞くから、その人をたのもうとおもい、山を分けて尋ね往く最中、王の使いまた追い来って捕えかかる故、決心して谷へ身を投げた。そのもとどりを王使が捉えて手中に留まったのを王に示して、この通りかの者を誅したと告げたので、王大いに悦び重く賞賜した。

    時に仙人の住所を護る神来って仙人に告げたは、汝の外甥児がいせいじ今苦悩にせまられ居るを知らずやと。仙人我れ我甥を懸念せずんば只今死すべしと答えた。この仙人男を女に、女を男に変ずる呪法を知っており、すなわちその法を外甥に伝えた。今は怖るる事なし、思う所へ往けというから、外甥その法を行うて自ら美女に化し、相貌殊好、特に常倫に異なり。すなわち婆羅尼斯に往き王の園苑中にとどまる。守苑人美女を見て希有けうの思いをなし速やかに王に告げ、今美貌成就せる少女ありて現に苑内にありという。

    王宜しく速やかに連れ来るべしと命じ、すなわち大威儀を以て僕従をして王宮に迎え入れしめ、王かの美女を見て深く愛著を生じた。美女すなわち王を閑処につれ行きてこれを殺し、たちまち呪を以て自身を男に戻し、王冠を戴き、委細を宰牛大臣に告げたので、諸臣この漁師の仮子を冊立さくりつして王とした。

    その時諸天を説いて曰く、頭を断たぬ内は殺したと言えぬ、また起ちて能くかくのごとき業をす、事宜じぎに随って他を損ずるも害と名づけず、白膠王の子を害したもののごとしと。橘好則が、平維茂たいらのこれもちの頭をたしかに取って、此奴こやつ万一生きもや返ると鞍の鳥付きに結い付けぬ内は安心出来ぬといったに同じ(『今昔物語』二五)。

     明の李卓吾りたくごの『続開巻一笑』四に、唐寅とういんあざなは伯虎、三月三日において浴澡す。一客これをおとずれて見る事を求む、浴を以て辞す、客悦ばずして去る。六月六日に及び公往きてこの客に謁す、また辞するに浴するを以てす、公戯れにその壁に題して曰く、〈君昔我を訪えば我沐浴す、我今君を訪えば君沐浴す、君昔我を訪いしは三月三、我今君を訪うは六月六〉と、けだし三月三日は仏を浴し六月六日はいぬを浴する当時の風だったから、自分を仏と崇め、この客を狗とけなして嘲ったのだ。

    同書六に、侯白初めいまだ名を知られず本邑ほんゆうにあり、令宰初めて至り白すなわち謁す、知識にいいて曰く、白能く明府をして狗吠をさしむと、知識それはとてもならぬ事と言いて飲食を賭す、それから入りて謁すると知識門外よりこれを伺う、令宰白に何の用あって来たかと問うと、令公はいまだ知らぬがこの頃当地に盗人多いから、各家に狗を飼わせ吠えしめるが宜しいという。

    令曰くしからば我家にも能く吠ゆる犬を欲しいが手に入れてくれぬかと、白曰く家中新たに一群の狗ありてその声他の狗に異なりと、令それはどんな声かと尋ねると、白その声はこんなぞと※(「口+幼」、第4水準2-3-74)ゆうゆうと吠えて聞かせた。令曰く、君は好い狗の声を知らぬ。好い狗は※(「口+幼」、第4水準2-3-74)々と吠えず号々と吠えるのだとて自らその真似をした。門外で伺う者聞きて口をおおうて笑わざるなし。白既にかけに勝ったと知り、そんなら号々と吠えるものを尋ねて見ましょうと言って辞し出たとある。

    このついでに言う、犬の鳴くを本邦では鳴くとか吠えるとか言うばかりだが、支那には色々とその区別があるらしく、英語になると、バーク、イエルプ、ナール、ハウルなどと雑多な種別があって、それぞれ一語で犬が怪しんで吠えたとか、苦しんで吠えた、悲しんで吠えたと判る。どうもこんな事にかけては日本語はまずいようだ。

    また犬の鳴き声は時代に由って色々に聞えたと見えて、今日普通に犬の吠えるを、英語でバウワウ、仏語でブーブーまたツーツーなどいうが、十六世紀に仏国で出たベロアルド・ド・ヴェルヴィユの『上達方』などには、犬の声を今の日本と同じくワンとしおり、古エジプトではアウと呼んだ形迹けいせきあり(ハウトンの『古博物学概覧』三〇頁)。『狂言記拾遺』六、「犬山伏」に犬ビョウビョウと吠える。寛永十年に成った、松江重頼まつえしげよりの『犬子集えのこしゅう』一に、「びやう/\と広庭にさけ犬桜」、巻十七に「びやう/\とせし与謝よさの海つら」「竜燈の影におどろく犬の声」。徳川幕府の初期には、犬の鳴き声をビョウビョウと聞いたので、英語や仏語に近い。

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    「犬に関する伝説」は『十二支考〈下〉』 (岩波文庫)に所収

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