三田村鳶魚(みたむら えんぎょ)
三田村鳶魚(1870年〜1952年)は、明治から昭和にかけての江戸風俗・文化の研究家。江戸学の祖とも呼ばれる。
本名は万次郎、後に玄龍。
自由民権運動に参加し日清戦争での従軍記者、報知新聞記者などを経て江戸風俗や文化を研究。
三田村鳶魚(1870年〜1952年)は、明治から昭和にかけての江戸風俗・文化の研究家。江戸学の祖とも呼ばれる。
本名は万次郎、後に玄龍。
自由民権運動に参加し日清戦争での従軍記者、報知新聞記者などを経て江戸風俗や文化を研究。
南方熊楠の手紙:履歴書(現代語訳11)
またこの人の手により出たのであろうか、『日本及日本人』に漱石の伝記を書いて、漱石が訳した『方丈記』はロンドンの『亜細亜協会雑誌』に出た、とあった。大正11年1月小生上京中、政教社の三田村鳶魚氏が来訪されたおり、現物を見せて誤まりを正した。大毎社へ聞き合わせたところ、漱石の訳本は未刊で、氏が死するとき筐底に留めてあった、と。小生は決して漱石氏が生前にこのような法螺を吹いたとは思わないけれども、我が邦人が今少し海外における邦人の動作に注意されたいことである。
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