九鬼嘉隆(くき よしたか)
九鬼嘉隆(1542年〜1600年)。戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。
九鬼水軍を率いた水軍武将で、海賊大名とあだ名されました。
織田信長・豊臣秀吉のお抱え水軍として活躍。
関ヶ原の戦いで西軍について、敗れて自害しました。享年59。
九鬼嘉隆(1542年〜1600年)。戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。
九鬼水軍を率いた水軍武将で、海賊大名とあだ名されました。
織田信長・豊臣秀吉のお抱え水軍として活躍。
関ヶ原の戦いで西軍について、敗れて自害しました。享年59。
南方熊楠の手紙:履歴書(現代語訳9)
普通には船の丸の名を付けるのは征韓役1591年に九鬼嘉隆が作った日本丸を嚆矢とすると思う人が多い。しかし、それより先に1578年、信長が九鬼の日本丸を見たことがあり、また1584年家康の清須丸と九鬼の日本丸と戦ったことが『武功雑記』に見える。しかしながら、1468年に成った『戊子入明記』を見ると、当時足利政府から支那に送った船には10艘までみな丸という号を付けている。これらのことはその後、何の書にも見えているが、小生がこれを明言するまでは知らない人が多かった。
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