平田篤胤(ひらた あつたね)
平田篤胤(1776年〜1843年)は、江戸時代後期の国学者・神道家。
儒教や仏教などと習合した神道を批判し、復古神道を大成した。
その思想はのちに明治維新の原動力ともなり、神仏分離や廃仏毀釈にも影響を与えた。
代表的著書に、『霊能真柱』『古史伝』『仙境異聞』『勝五郎再生記聞』『稲生物怪録』『古今妖魅考』など。
平田篤胤(1776年〜1843年)は、江戸時代後期の国学者・神道家。
儒教や仏教などと習合した神道を批判し、復古神道を大成した。
その思想はのちに明治維新の原動力ともなり、神仏分離や廃仏毀釈にも影響を与えた。
代表的著書に、『霊能真柱』『古史伝』『仙境異聞』『勝五郎再生記聞』『稲生物怪録』『古今妖魅考』など。
南方熊楠の手紙:履歴書(現代語訳11)
ついでに申すと、むかし寛永中、台湾のオランダ人が日本の商船の荷物をかすめとって、はなはだ不都合な行為をなしたことがある。長崎の浜田弥兵衛がその商船の持ち主末次茂房に頼まれて行き、オランダ人を生け捕って帰り、大功名をなしたことがある。平田篤胤の『伊吹おろし』その他日本の書にはただただ浜田氏が勇猛でこの成功があったように称揚しているけれども、じつは当時この風聞はペルシア辺まで聞こえ、仏人が当時ペルシアでこの話を聞いて賞賛して長文を書き留めたのを見ると、浜田氏のそのときの挙動処置のいちいちに条理があり、じつにどこの国の人も難の打ちどころない見事なやり方であったと見える。今日の米人なども無茶な人ばかりのようだけれども、じつは道理の前には心を空しくして帰服する美風がある。これに対する者は、例の日本男児など独讃的な自慢でなく、どこの国にでも通じるような公然とした道理を述べ、筋道を立てられたいことである。
南方熊楠の手紙:神社合祀に関する意見(現代語訳4)
賽銭を盗み、神林を伐って悪ければ、神官に増俸すべし、と。これは取りも直さず、世の道義の標準たるべき神聖の職にある人が、みずからその志操(※しそう:自分の主義や主張などを固く守って変えない心※)を忘却して乞盗に並ぶものである。平田篤胤が世の中の俗神職の多くを謗って、源順朝臣が『倭名抄』に巫覡(ふげき)を乞盗部に入れたのをきわめて妥当としたのを参考するべきだ。
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