上松蓊


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  • 上松蓊(うえまつ しげる)

    上松蓊(1875〜1959年)。
    新潟県出身。
    初期の衆議院副議長を務めた安部井磐根の猶子。東京で会社を経営。

    南方熊楠(1867~1941)の粘菌研究の門弟のひとりで、新種の粘菌も発見しています。
    南方熊楠の生活上の援助もし、筆記具や顕微鏡、書籍の購入、原稿の売り込みなど、熊楠に献身的に尽くしています。
    熊楠は上松蓊の献身に感謝し、上松蓊宛てに書簡を頻繁に差し出し、自分の死後に自由に書簡を利用してよいとの許可を与えています。

    現存する上松蓊宛ての熊楠の書簡は約500通。『南方熊楠全集』に約120通、『門弟への手紙―上松蓊へ 』に212通の書簡が収められています。



    上松蓊

    南方熊楠の手紙:浄愛と不浄愛,粘菌の生態,幻像,その他(口語訳5)
    一昨々年10月18日であったか、東京より来遊された上松蓊(しげる)氏(明治24,5年ごろ衆議院副議長であった故安部井磐根氏の烏帽子子(※えぼしこ:武家の元服の儀式で新成人の後見人を勤める者を「烏帽子親」と呼び、その新成人を烏帽子子と呼んだ※)である)と当地は出発し、当国日高郡の妹尾官林(※いもおかんりん:今の和歌山県日高郡美山村にある妹尾国有林※)に赴き、3日目に上松氏は御大典のことに関係があって出立、東京への帰途につく(日高川の釣り橋を渡るとき、串本村の男女ことごとくが出てその渡りぶりを見るので、ずいぶん気をつけて歩んだが、橋板をとおして急流が遠い眼下を流れるのを見て、思わず足を止め居すくみになったとみずからいう)。

    南方熊楠の手紙:フィラデルフィアの顕微鏡(口語訳1)
     大正13年2月15日夜9時前

       上松蓊

     拝啓。1月27日付け御状29日拝受。ちょうどその翌30日午後1時に拙妻の母が死亡(拙妻1月22日朝、和歌山へ参り、27日夜帰宅、それから3日めに死亡したのだ)、和歌山で火葬致し,拙妻の妹夫妻がその骨を持って来て、2月10日に埋葬、12日に和歌山へ帰りました。これらのことのためせつつまがいろいろ取り込み,それがためお返事が遅れ申しました。

    南方熊楠の手紙:本邦産粘菌諸属標本献上表啓(口語訳)
    標本献上者 小畦四郎 
    標本献上者 小畦四郎  品種撰定者 南方熊楠
    邦字筆者 上松蓊  欧字筆者 平沼大三郎






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    @mikumano